AMU JOURNAL

事務局長日記「そして日々は続く」

勇木史記ロングインタビュー|より良い暮らしを求めて

2020.10.28

書いた人 ― 太田 章彦

この記事の取材を行ったのは2015年の11月なので、5年も前の記事になります。もとは、海士町観光協会で発行している広報誌「海士からの島だより」でのインタビュー記事だったのですが、誌面に収まらない量のインタビューとなったためウェブサイト上で発表していたのですが、海士町観光協会のウェブサイトのレイアウト変更に伴い、下書き状態になっていました。

改めて読んでみると、6年経っても変わらない価値観や、なにかを作る・見つける視点をとても興味深く感じたので、ここに再掲載します。


※トークテーマは「風と土」でした。

太田 「風と土」というのは”風土”という言葉の間に”と”を入れた言葉です。”と”を入れることにより、風土という言葉を身近な部分に置き換えることができるのではないか、と考えたからです。「風土」から「風と土」にした時、誰と対談しようか考えたら、土を表現素材として陶芸をされている勇木さんが浮かんだんですね。

風と土

勇木 風土といえば、その土地で人が脈々と作り上げてきたものごとに対して使われることが多いのかな。だけど一方では、自然という意図・意味を持たないものが積み重なって歴史になっていて、色んな植物や魚とかはその環境の中である意味生き抜くために、環境に合わせて変化を遂げながら今の形になってて。

僕は人に対して何かものを残せたらっていう気持ちがずっとあるんだけど、意図・意味を持たないものの領域は、なるべく邪魔したくないんだよね。なぜかと言ったら、人間のためにやってるので、共存を無視して便利さだけを求めて、有限の資源をただただ消費していくのは不自然で。

やっぱり感情とか思いとか、そういう部分を大切にしたものづくりに、自然の資源を必要な分だけ使わせていただく、といった方がしっくりくるんだよね。それは、ただ暮らすだけじゃなくて、より良い暮らしをしていくことにつながるし、自然とともに育むことにもつながっていくと思う。

なので楽しいとか悲しいと感じたことを、ものを通して表現していくのが、良いのかなって思う。そしたら子供や孫にも大切な問いが残せるんじゃないかな…。

だから食器も、食物を盛る器なんだけど、そこらへんに落ちてる石とか、竹を割ったりとか、葉っぱで楽しむのと、僕がこの島で暮らしてきて感じたことを形にしたもので楽しむのとでは、伝わり方がちょっと違うと思うんだよね。

太田 「より良い暮らし」というのは、キーワードですね。どこに住んでいようが共通して「より良い暮らし」という言葉はわかるけど、島での「より良い暮らし」と、都会の「より良い暮らし」は言葉の持つ意味が違う気がします。違うけど、でも、本当に大切な部分はブレずに共通している、何かしらの共通言語があるような気がします。

勇木 僕もそれはすごく思う。それは「本質」っていう言葉。そのものの、本当の価値を知る。僕は土を使ってるんだけども、木とか金属とか、植物とかっていうのを排除してるわけでは無くて、それぞれ、全部必要。たまたま土の魅力に取り憑かれたから土を表現素材として使ってるんだけども。

表現方法は金属でもガラスでも何でも良いと思ってる。問題は本質だと思うんよね。それを見たときに、何かを感じてくれるかどうかっていうのが大切で。それに極端な話、多分、表現っていうのは究極の自己満足なんだよね。

太田 自分に返ってくるんですよね。最近思うんですけど、もの作りは結局、循環なんじゃないかと。自分と外の世界との循環をずっと繰り返してて。もの作りがしたくて、出来たら、見せたくなって。でも見せる前にすでに自分が満足してて、で、見せて反応を見て、その反応がまた自分に返ってきて、そしたらまた作りたくなって、っていう循環。

勇木 そうそう。だから自分のためにやってる気がする。そういう仕事ができたら良くて、都会でも田舎でも「より良い暮らし」の本質、根っこの部分は多分、個人個人の感情そのものだと思ってる。どこに暮らそうが、そこが幸せだと感じられることができれば、それで良いと思うんだよね。幸せだって感じるだけじゃなくて、自分の成長する課題が見つかったりとかね。生きていきたいなって思える、何か刺激があったりとか。

螺旋階段

太田 勇木さん、たしか島に来て10周年とお聞きしましたが、1年目と10年目で違いとか変化ってありました?

勇木 あぁ、前と今?えっとね、いや、どうなんだろう。螺旋階段でいうと1階から2階に上がったみたいな感じ。

太田 いやぁ、そうなんですよね。最近その話、人としたばっかりで、いやホントに!循環だけど、同じところには戻ってないんですよね。

勇木 そう!なんかここの暮らしの中でなんでも挑戦してきたら一度は180度向こう側にいたんだけど、いろいろ悩んだり考えたりしていくと、自然とまた10年前の気持ちに戻っていくというか。ゴールはもう一回原点に戻ってきて、ね。でも、そういうのが今年すごく明確に出てきたので。

太田 いや〜いいこといいますね。原点がゴールっていうのは誰でもわかるような気がしますね。ははは。

勇木 でもちょっと哲学的かな。

理解者がいること

勇木 ここにきた時のスタイルは、100人いたら1人わかってくれたらいいよねっていうスタイルでこっちに来てて。

太田 なんだっけな。それ勇木さんと話したんだっけな。その、誰が理解者かっていう話で、例え話でそれで食ってくっていう話を人としてた時に。勇木さんとだったと思うんだけどな、多分。それこそ100人いたら1人っていうニュアンスなんですけど、その、島に認めてくれる人が何十人、何百人いようがどうでも良くて、島根県に一人とか。でも、例えば県に一人いたら47人日本にはいるわけですね。例えばですよ。っていうのを世界で考えたときに、国に1人ファンがいたら、それで食ってけるわけですよ。っていう広い、広いけど根を張らないとやっていけないもの作りの仕方と、自分の心の持ち方の話。勇木さんと話したような気がするんだけどな。

勇木 ん〜覚えてないなぁ。でもまさにそれ、思うわ。でも、生活していくとどうしてもお金を先に考えてしまって、するとどうしても10人いたら10人に理解してもらうような表現が先行してしまう。だけどさっき太田君が言ったように、自分が本当に納得する表現をして、100人いて99人がダメって言っても、1人がもの凄く良いって言ってくれるようなやり方で仕事がしたいね。

だれのためのものづくり

太田 もの作りをする上で、その1人を裏切っちゃいけないなっていうのを最近すごく思ってて…。

勇木 あ〜それはね、どういう時に感じる?(笑)

太田 雑な仕事になりそうなとき(笑)。これが積み重なったときに一つの分厚いものになるっていう思いでいっつも作ってるけど、これ積み重なったときに、この何年間は何だったんだって思っちゃうようなものは作りたくない。で、その、何だったんだろうっていう物を、この人に届けるようじゃダメだなっていう。

勇木 はいはい。

太田 良い悪いはちゃんと言ってくれるけど、この人は丸をくれるんですよね。作品だけではなくて人柄も含めて、応援してくれてる人だったから、あ〜ダメだなこれはって。納得とか関係なく100が良いって言ってくれる作品ではなくて、とにかく自分が納得するもの作って、1人が評価してくれてたら良い。

勇木 そうそうそうそう。僕の先生も「必ず誰かが見ています」っていう文章を送ってくれたことがあって、まさにそういうことだと思う。僕、この島で信頼してる人に最初の仕事を頼まれたんよね。一番最初の仕事で大きな仕事だったんだけど、それを大失敗してね。何回実験してもできなくて、いよいよ間に合わないからごめんなさいって謝りに行ったことがあるんだよね。ただ、自分勝手だけどその人との繋がりはまだ終わりじゃない気がしてて、これからがスタートだと思うんよね。失敗したから終わりではなくてね。

人と仕事をするっていうことの原点なのかな。その人のために、もっと成長した姿を見てもらえるようになるとか。だから、まだその、諦めてないわけ。失敗して信頼を失ったなって思ったけど、当然本気でやったんだけど、でもその時はダメだった。でも10年経って、もう一度向き合える時期が来たら、また再挑戦させてもらいたいなっていう気持ちでいる。でもこれ、人とのつながりが希薄な場所ではそういうの、ないんじゃないかなって。ものを通してここまで人と向き合うっていうね。だから本当に、その原点はこの島で学ばせてもらってる気がする。

太田 繋がりを持ち続けることで表現の強度を増していく、といったところでしょうかね。それと根を張るという言葉よりも、もう少し先を見て言うと、その表現が残るか残らないかですよね。根を張るも大切だけど、この島にいたっていうことが残るか残らないかっていうね。

何かの影響を、無理なく受けて変わり続ける

勇木 鳥取砂丘に行った時に、風で出来た砂紋のことを風紋って言ってて…。風が吹けばね、砂がそれに合わせていろんな模様になるんだよね。

太田 風土らしい話になってきましたね(笑)。

勇木 うん(笑)。その風は冬と夏とでは向きが違うんだって。だから毎年できる模様も違うんだって。だけど模様は自分からその形になろうと思ってるわけじゃないんだよ。風が吹くと砂が勝手にいろんな模様になっていっちゃうんよね。その砂はもしかしたらハート形の模様を作りたかったかもしれない(笑)、でも作れんのんよね。風が吹いたらなっちゃうけん。でもそれを見て、誰かが良いなって言ってるんよ。

太田 いい話ですね。砂は砂のままなんだけど、何かの影響を、無理なく受けて変わり続けるという。

勇木 うん。だけど僕の場合は、陶芸を10年続けているとプライドみたいなものがどうしても出てきて。どんどん自分の中で堆積されていく。例えばその、隠岐窯らしくないといけないとか(笑)。らしさを伝えるにはこういう風に仕事をしないといけないとか、決め付けてしまってる。けど、その砂丘の砂は、何もしなくても、永遠に変わってないようだけど、変わっていってる。模様がね。

太田 そうなんですよね。らしさを求めると、逆にらしくなくなっちゃうんですよね。

勇木 見えない美しさがあるって話を聞いたことがあって。そういうのを、自然から発見できる気がするんよね。

太田 人工物を見るよりも、自然のものを見る方が造形に関して言えばよっぽど勉強になることがあるっていうのを誰かが言ってました。

勇木 僕は畑をしなさいって言われたよ。陶芸するなら畑したほうがいいって。料理研究家の方に。

自分の領域

太田 勇木さんて、主に飲食に関しての食器じゃないですか。テーブルとか、照明とか、いってしまえば部屋の内装とかっていうところまで、やっぱり気になります?

勇木 なるなる。だからもともとは牛舎だったここのアトリエのレイアウト?設計?は僕がやったよ。ここにドーンとテーブルを置いて、ろくろ場と窯場を分けて、仕切りを入れたりとか、光を取り込みたいからここを全部窓にするとか。自分のリズムっていうのは空間でかなり変わってくると思う。で、リズムのために大事にしたことは、掃除がしやすいようにすることと、使われないスペースをなくす。あ、それと明るさにもかなり拘ったな。

太田 僕も写真の師との会話の中で「何を撮るかではなくて、どこに身を置くかが大事だよ」と言われたのがずっと引っかかってて、今になってようやくその、身を置くって言葉の意味が少しずつ分かってきた気がします。

勇木 どこに身を置いたかがちゃんとわかることが大事だね。あとは、住めば都って気持ちでいればいい。この環境が一番だと自分で変えていく。風土に置き換えて考えてみると、土地に合わせる「しなやかさ」みたいなもんかな…。ものごとを守り伝えてくれるに土地に対して、ちゃんと合わせられる草木のようになりたいと思うんよね。そこにすごい気まぐれな、いつやってくるかわからない風が吹いたとするでしょ。だけどここでしっかり根を張っとけば、強い風が吹いてもその草木は倒れんよね。

その風に乗った種が別の場所に届けられて、いつのまにか広がっていくイメージかな。僕は土に根を張る草木のような気がするな。だからまだ今のところはちゃんと自分の表現で立てるように、地盤固めをしてる感じかな。それが一生続くんじゃないかなって思うんだけど。

本当に伝えたいこと

勇木 僕が目指してるのは文化という形。それはものを扱うっていうことに敬意を払える人たちがたくさんいる島の文化。海士でやきものを根付かしたいとは思ってなくって。ものを、いろんなものを、ちゃんと大事に、敬意を払って、そのものの本質を見極められる人が、たくさんいたらいいなって思うし、そういう仕事をしたい。

太田 品なんでしょうね。きっと。暮らしのね。目利きができるようになってくると、身の回りのものがどんどん研ぎ澄まされていって、品が生まれてくる。

勇木 いいね。品という名の草木の人がいっぱい出て来ればいいな(笑)。上品な草木でいっぱいになれば(笑)。実際に僕がやきもので使う海士の土の良さっていうのは、ホントに世間ではなかなか認められなくて、癖があるってことでものすごい毛嫌いされるとこがある。けど、こういう土は焼くと個性が強い。だけどそれを人に合わせようと思えば強いんだけど、土そのものと対話した時には、それが自然なんだと気づかされる。

太田 土の個性って何ですか?(笑)。や、今さらっと聞き流したけど。

勇木 個性的な土っていうのは、何もしなくてもありのままの姿だけで絵になるっていうか。でもそれは、今の人間社会にはなかなか溶け込めていないんだよね。

太田 なんか共感できます。写真も別に、何かを撮ってるわけでもなくて、でも、ただ綺麗なんですよね。っていうのを、いいねって言ってくれる人はやっぱりまだ少ないわけですよね。ちゃんと写真の文脈だときちんと収まれるけど、じゃあ、果たして、そこだけにとどまってていいの?っていう話なんですよね。

勇木 今の生活とリンクしていない非日常の部分にスポットを当てたりすると、なかなか共感しづらくて。本当に伝えたいことって、好きや嫌いだけでは判断できないな。

太田 ものごとの本質っていうのは、好き嫌いの向こう側にあるんですよね。

(終わり)


勇木史記オフィシャルサイト

書いた人

太田 章彦

島根県出身。事務局。2013年から海士町暮らしをスタートしました。趣味は写真で、温泉とビールと旅行が大好きです。

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