AMU JOURNAL

寄稿文

1.旅の果ての絵本

2021.2.9

書いた人 ― 木割 大雄

 自分が何者であるか。初対面の人に自己紹介するとき、困ってしまう。後期高齢者だから堂々と「無職」と言えばいい様なものだけれど。

 仕方なく「俳人」と名乗る。

 すると、殆どの人が「え?」という顔になる。ハイジンとは何をする人か?

 廃人と書けば「病人」になる。

 なるほど。俳句をする人とは「病人」であるか。言い得ている。俳句という何の役にも立たないことで生涯を過ごすのは、正しく病人。

 さて。そのハイジンが旅をする。

 そして、ハイジンは考える。「旅」と「旅行」は異なる。旅は、決して旅行ではない、と。

 旅はぶらぶらすることである。

 そもそも旅行は、予定を起ててそのまま予定通りの行動できたことによって成功と考える。

 それに比べると旅に、正解はないのだ。あくまでも、ぶらぶら。

 というわけで、私というハイジンは旅で隠岐に来て、中ノ島・海士町でぶらぶらして来た。

 そして隠岐を考え、隠岐で考えている。

 あらためて名乗ろう。私は俳人である、と。

 海士町では、とうとう小学校で俳句の授業をしてきた。

 気がつくと、お隣の知夫里島でも西ノ島でも小学校へ出掛けて、俳句の授業をしてしまっていた。

 何故、そんなことになったかと言えば、私は、30年近く前から各地の小学校へ出掛けたり、招かれたりするようになっていたから。一回きりの学校もあれば、毎年のように何度も訪ねた学校もある。自分の住む阪神間の街の学校だけではなく、遠くは岐阜県、奈良県、そして此処、島根県隠岐の島だ。

 さてさて。小学校の俳句とは、いかなるものか。今の時代、テレビ番組やお茶の宣伝用などで俳句なるものが、少しは人に知られるようになった。お陰で、こども俳句コンクールなるものも珍しくなくなってきた。

 けれどけれど。

 そんなこととは全く関係なく、小学生が抱えている悩みの吐け口として、五・七・五で語ることが出来るのではないかーと私は考えた。

 すると、彼等の一人が応えてくれた。

 「五・七・五の作文でイイのか?」と。

 たった十七音の短い作文なら誰でも書けると思ったのだろう。

 私は数えきれないほどの小学生と向かい合い、語り合ってきたので、とんでもない数の小学生の俳句を読んできた。

 その中から、私流の好みの「五・七・五」を選び出したものが『絵本』になったのだ。

 或る出版社の編集者が若い絵描きさんを連れてきた。その彼女が描く、まるで昭和を憶い出すような懐かしい気分の絵画。その絵に、私が作者の名も忘れてしまったようなこども達の五・七・五を重なり合わせると『絵本』になるのではないか、と言うのだ。

 私の小学校めぐりも旅みたいなものだ。その「旅みたいなもの」が『絵本』というカタチで残る。有り難い話ではないか。

 そして出来上がった『絵本』のタイトルは『はっぱにいのちはありますか』という。散っていく葉っぱにも命があるのか?という素朴な疑問をそのまま俳句にした女の子が居た。それをタイトルにしたのだ。それがどこの小学校の子であったか、思い出せない。何しろ、訪ねた学校は四十校以上。市町村の数で言っても十以上。その、どこの学校でも給食を小学生と一緒にいただいた。

 勿論、隠岐の小学校でも!旅の、嬉しい余得のひとつだった。

 さて、その絵本。

 もう作者も分からなくなった小学生の五・七・五をたった7句。それに平成生まれの画家が描いた、心あたたまる昭和の雰囲気の子たちの絵が11点。ただ、それだけの絵本。

 おじいちゃん、おばあちゃん達から孫たちへのプレゼントにぴったりのモノとして評判がいいのだ。

興味のある方は、大盛堂出版に電話してみて下さいね。

書いた人

木割 大雄

兵庫県出身。俳人。赤尾兜子に師事。兜子没(昭和56年)後は師の人と作品について語り継ぐこと、同時に“俳句とは?”を今も考え続けている。

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