AMU JOURNAL

はたらく人の声

【卒業生インタビュー前編】AMU WORKERからものづくりの道へ

2024.8.8

書いた人 ― 山郷 志乃美

今回は、卒業生インタビュー第一弾として、今年の3月にAMU WORKを卒業した山郷さんにお話を伺いました。

ーまず、AMU WORKER時代に山郷さんがしていたお仕事を教えてください。

はい。最初は大敷に行って、漁協、森林組合、ちょっとだけ岩牡蠣。福祉の2種類くらい。で、隠岐牛、民宿だから、8つ。アルバイトのヨットも入れたら9つのお仕事をしました。

ーかなりいろんなお仕事を経験されていますね。AMU WORKERを卒業されて、今は何をしていますか?

3月いっぱいで島を離れて、その後4月から長野県の上松技術専門校っていう木工家具の学校に通っています。

ーなぜ木工の学校に行こうと思ったんですか?

島でいろんな仕事をする中で、それぞれの仕事にそれぞれの面白みがあったんですけど、その中でも一番合ってるなって感じたのがヨット作りでした。これはAMU WORKERの仕事じゃなくて、バイトでやってたことなんですけど、そこで初めてものづくりみたいなことをやってみて。

ーヨット作りがきっかけで木工に興味を持ったということですね?

はい。私が結構いろんなことに興味関心があって、それまで、知らないことに対して「わー面白そう。なんだろうなんだろう!これやってみたい!」みたいな動機で、AMU WORKの仕事も選んでたんですよ。ただ、その動機だとなんとなく仕事のことがわかってきたり、中身が分かってきたりすると、最初のころのモチベーションではないまた新たなモチベーションが必要になってくるというか。いろんな仕事を経験するのはすごく楽しかったのですが、そんな理由で、ずっと続けるのが難しいと感じていました。

そんな中で、ヨット作りは最初の頃の興奮が冷めてもなんか”淡々と”続けられるなって気づきました。淡々とした気持ちでも続けられることが自分に合っているってことなのかなと感じて、本格的にその道を深めようと思いました。

ーかなりたくさんの仕事をされてる中で、ヨット作りの”淡々さ”は、他の仕事とどういう違いがあったんですか?

多分、基本仕事となるとだいたい同じようなことで回ってるから、淡々さみたいなものはどれもいづれ直面すると思うんですけど、ものづくりの淡々さが自分に合っていたというんですかね?ものづくりをやっているとき、指の感覚にすごい集中したりだとか、ひたすら磨くだけだけどそこに集中するというか…そういうのが苦にならなかった。あとヨットみたいなものづくりは、それが形として見えたり、美しくできたなーみたいなことを感じれたりしたのも良くて…。そういうことが合ってるってことなのかなと思いました。

ー今、学校に行き出して2ヶ月くらい経って、”淡々さ”ってまだ続いていますか?

いや。淡々と全然してなくて。なんて言うんだろう。モチベーション?未知への興奮みたいな、最初の気持ちの高まりみたいなのは落ち着いてきたんですけど、毎日、新しいことを知って、すごく基礎的な作業だけど、自分がやってみると全然きれいに出来てなかったりとか、もっと上達できる部分があるぞって。本当に毎日、学びというか訓練というか、そういう感じで。

だから何て言えばいいんでしょう。多分、これまで、いろんな仕事をバーってやって、浅瀬でちゃぷちゃぷ楽しいな楽しいなって感じで。でもその浅瀬でちゃぷちゃぷに満足したぞってなった時、その奥にもっと深く入っていくのが怖かったというか。それ1本でやってきたいというわけじゃなかったから、飛び込むみたいなきっかけというか、踏み込む理由みたいのがなかったんです。

でも今は、ある意味もう踏み込んじゃったのでその中で学ぶこととか、磨くこととか、吸収することがすごいたくさんあるから、淡々っていう気持ちは感じてないですね。よく聞きますけど、職人になると追求の終わりがないみたいな。今思うと、どの仕事もそんな感じなのかなって思うんです。

ーなるほど。AMU WORKER時代は、「一つに縛られずやっていきたい」という印象でしたが、そう思うようになったきっかけがあればお聞きしたいです。

一つに縛られたくないなって思ったのは、確かにきっかけがあって。高校ぐらいに戻るんですけど…高校生まで私、医者になりたかったんですよ。周りの思いとかもあって多分小学校くらいからずっとそういうふうに思ってて。でも高校生ぐらいの時に、なんだか電車に乗っているような感覚になって。過去に自分が選択したことではあるんだけれども、変えられないレールの上に乗せられて走らされているような感じになって。で、「もうやめた」って、その時に思ったのが、多分きっかけかもしれない。自分が選択したことにずっと縛られ続けるのは嫌だなって思いました。

ー違う分野への飛び込み力がすごいと思います。その力の根源はどこにあるんでしょうか?

飛び込み力…なんだろう…分からないですね…

ー小さい頃とかでも良いんですけど、周りからどう思われていたとか、こんな性格だよね、みたいなエピソードはありますか?

一番ちっちゃいころのエピソードを言うと、2歳くらいのときにおじいちゃん、おばあちゃんと一緒になんかディズニーに連れて行ってもらって。私がカートの乗り物みたいなものに並んでいたんですって。で、次は私の番だって乗ろうとした瞬間に、同い年ぐらいのやや大きめの男の子が前に割り込んできて、その子の頬をバシンと叩いて泣かせたっていう話はよく聞かされました(笑)。飛び込み力と関係があるかはわかんないけど、気は強かったんじゃないかな?あとは、「なんでなんで?」ってよく言う子だったみたいです。

ーさすが山郷さんですね笑 大人になってからはどんな人って言われますか?

「自由」っていうのはどの年代の時でも、どの世代の時でも言われてたかも?私が「次これします!」みたなことを話すと周りには突拍子もないことのようで驚かれることが多いですね。あと、これは高校生の時の話ですけど、帰国したらなんか私じゃないみたいというか、宇宙人みたいな、これまで知ってた私と全然違うみたいなことを家族とかに言われたりしました(笑)…自分でも自分が変わったなって感じること多いし、逆にいえばずっと同じっていうのが難しいのかも知れない。

ーそれって、自分の意志がしっかりしているようにも見えます。

それは言われるかも?変わらないところもあるし、変わる所もある…多分その何かは変わり続けるかもしれないけど、”何かに囚われたくない”のは変わらないかもしれないです。

後編に続く


書いた人

山郷 志乃美

埼玉県出身。初めての釣りに感動し、漁師を目指し海士町へ。魚を起点に、漁師・漁協・森林組合・福祉施設などで勤務。

山郷 志乃美 の他の記事