AMU JOURNAL

はたらく人の声

【卒業生インタビュー後編】AMU WORKERからものづくりの道へ

2024.8.8

書いた人 ― 山郷 志乃美

前編はこちら

ー3年間海士町にいて、AMU WORKを選んでどうでしたか?

めちゃめちゃよかったです。まず、これは私個人に関してというよりかは、多分現代の人にも当てはまると思うんですけど、これまで都会の方に住んでて、スーパーで買った魚の切り身を家で食べたりしてたけど、その魚の切り身の背景というか、根元にある「その魚がどこから来たのか?」ということを全然考えたことがなかったんです。

例えば、毎朝漁師さんが大変な思いしながら魚をとってることとか、その魚をたくさんの人に食べてもらいたくて売ってる魚屋さんとか、いろんな人の手を介して今食卓に並んでるということ、もっともとを辿れば春には小さかった小アジが夏までにどんどん大きくなっていくこととかそういう魚の存在があって。

魚に限らず、モノも、家具だったら家具でそれを作っている人がいるし、材料、木や山の存在があるし…そういうのからすごく切り離された生活をしてきたんだなってことを、AMU WORKのいろんな仕事をする中で、知れた、気づけたってことはめちゃめちゃ大きくて。それがなかったら今私はどうなってるんだろうってぐらいの経験でした。

ーもしもAMU WORKERになってなかった人生はどうだったんでしょう?

なんか嫌だな、なんでだろうって思いながらそのまま働いてたかな?それまでと変わらずに街という箱の中でずっと暮らしてたんじゃないかな?

ー前編の話を聞いていると、なんだか意外ですね。別の道に進んでそうな印象です。

私の大学時代の先生は、「人間みんな一人ひとりに心のコンパス、羅針盤があるから、カウンセラーはクライアントさんの心のコンパスを磨くのが仕事。」っていうことを話してたんですけど。その自分の心のコンパスを見つけることが出来なかったら、多分箱の中で生活してたと思います。

ーそうだったんですね。今まで、9社で働く中で、いろんな人と関わって、どういうタイミングで、「箱の中じゃない」を感じましたか?

職場というよりは働き方にすごく感じました。自分の興味で仕事を選んで、選択する。まあ、働き方をデザインするってことが最初に言われてたんですけど。どの仕事を選ぶのかでもそうだし、どれくらい働くのかもそうだし、じゃあ週何日なのか、午前午後なのか。自分で選べる中で、自分にとって何がいいのかっていうのを、いろいろ試せる。自分の人生をデザインするっていうことを実際に実践できたのが、この働き方だったから。職場というよりは、働き方のように感じました。

ーなるほど。山郷さん的に、AMU WORKはどんな人におすすめですか?

何だろう…なんとなく「これじゃないな」みたいな違和感がある人?私がそんな感じだったからなんですけど、働くってことがなんかわからなかったり、これでいいのかな?みたいな…。正解がわかってる訳じゃないんですよ。正解がわかってたらズバッてそっちに行っちゃえばいいんだけれども、それがわかっている訳じゃなくて、なんか違うな~とか違和感みたいなのを感じてる人が、ここに入って試していく中で自分なりの「あ、これだ」みたいな方向とか、そういうのが見つかる可能性があるんじゃないかなって思うから、オススメかなって思います。

ー山郷さんの場合、その違和感はAMU WORKでどのように変わっていったんですか?

AMU WORKをやってみて自分のスタートが見えた感じで、それは自分がこれからどう生きていくとか、どういうふうに生きていくみたいな「やり方」を見つけられたと思います。

多分やり方が大事。ゴールというよりは、やり方は見つけられたかな。だからこれから先の終着点っていうのは自分でもわかんないんですけど、いろんなものが繋がっているっていう視野を持ちながら生きるとか、自分を軸に人生をデザインしていく方法とか、そういうのを見つけられた三年でした。

それから、「地域に送り出すためのAMU WORK」っていう言葉の意味が卒業してよく分かったというか、海士町で、複業組合で、本当に生きるための基礎を学んだなと思います。

ーありがとうございます。入社当初と卒業前で比較して、こっちのほうが良かったな、という話はありますか?

ワクワク感が強かったのは最初の方ですかね。これから何が起こるのか、何をしていけるのか、どう発展していくのかみたいなことを想像できる余地があったのが最初だったから。三年目になると自分の行く先も考えていたから、働き方とかが安定していくにあたってワクワク感は少なくなっていったかもしれませんね。ただ、私に関して言えば、自分で選択できるっていうところさえあれば良かったし、私が求めているものは最初から最後まで一貫してあったのでそんなに差はないかもしれません。

ーこれからやっていきたいことを教えていただきたいです。

木工の学校の卒業後の方向性ってことになるんですけど、今、方向性としては二つあって。一つ目は、自分で自分の生活を作りたい。これはAMU WORKを通して思い至ったことで、食べるとか、エネルギーとか、家とかそういうものを自分で作れるようになりたい、全部自分で作ってみるやってみるっていうのが一つ目で。で、ふたつ目の方向性が木工をもっと深めて行く道。生活のことは一旦置いといて、木工をめっちゃ深める。だからどこかで誰かに弟子入りしたりとか。直近ではそういう道がふたつあります。でも、将来としては自分の生活を作りたいし、ほかの木工以外のものづくりもやってみたい。

自分の生活の基盤を作ることと、その上で自分がやりたいことを何でもやる、やってみるっていうのができるような人生を作りたいです。

ー山郷さんの中でAMU WORKを一言で表すとどんな一言になりますか。

「自分の人生を作る実験が出来た場所」ですかね。

私の仕事の選び方は興味関心だったんですけど、自分に合ったとか好きとかそもそも働かないとかそういうもので、カスタマイズをしていくことができて、それを手当たり次第に実験できましたよね。

あとは、働く場所も大事でしたね。その仕事を通していろんなことが繋がっているってことがわかって。大きな社会とか世界と繋がっている環境の中で、自分の人生をつくる実験が出来ました。

ー最後に何か言い残したこと、伝えたいことはありますか?

そうですね…自分に関してではないんですけど、海士町複業協同組合やAMU WORKのみんなの今後が気になるので、ぜひ今回みたいな機会を作ってください。

ーわかりました。応援よろしくお願いします。山郷さん、本日はお話ありがとうございました。

編集後記:
海士町でのさまざまな興味関心の変遷を経てものづくりの道に進んでいる山郷さんですが、木工の学校を卒業後、また新たな道を選ぶのか、どんな選択をするのか、これからも追い続けたいと思いました。また、山郷さんのお話から、何のお仕事をするかだけでなく、お仕事の選び方やタイミング、働く中での自分の気持ちなど全てがAMU WORKの一部なんだな、と改めて気付かされました。山郷さん、AMU WORK時代も卒業後も、たくさんの大切なことを気づかせてくれてありがとうございました。またお話できる日を楽しみにしています。

書いた人

山郷 志乃美

埼玉県出身。初めての釣りに感動し、漁師を目指し海士町へ。魚を起点に、漁師・漁協・森林組合・福祉施設などで勤務。

山郷 志乃美 の他の記事