AMU JOURNAL

はたらく人の声

私がAMU WORKERになった理由〜岸田編〜

2025.4.30

書いた人 ― 岸田 真由

決意したきっかけ

地元で同じ園に7年間保育士として働いていました。でも、もっと学べることはないか、私に何ができるのかを知りたくなり、思い切って留学を決意。

もともと人と関わることが好きで、英語を学べばもっと多くの人とつながり、新しい世界を知れると思ったからです。

留学中は保育の現場でボランティアをしながら、カフェでバリスタとして働いていました。子どもとの関わり方や保育の考え方は国によって違いがあり、学ぶことが多かったです。特に印象的だったのは、ベビーシッターを利用することが当たり前となっている環境でした。このような文化に触れることで、子どもと向き合う時間の大切さや、そのためにどんなサポートが必要かを改めて考えさせられました。

そんな中で、保育士として働く場所は自分次第であり、どこででも自分の仕事を続けられると気づき、改めて保育士を続けたいという思いが強くなりました。

帰国後、今後の働き方を考えていたときに「保育士×◯◯」という海士町の保育プロジェクトを知り、興味を持ちました。「保育士の枠を超えて働く」という視点が面白く、実際に島を見に行くことにしました。

カフェで働いていたとき

AMU WORKを選んだきっかけ

ただ、現実的には「保育士の仕事だけでは生活できない」「保育と他の仕事の両立には課題が多い」という問題がありました。

それでも 「この島に住んでみたい!」 という気持ちが強く、そんな私に 複業組合(AMU WORK) を紹介してもらいました。

「すぐに理想の働き方はできなくても、まずはここで暮らしてみよう」

そう思い、AMU WORKでの挑戦を決めました。

海士町での暮らし

実は、私はまだ海士町の「一番いい時期」を知りません。

見学に来たのは夏の終わり、移住したのは1月末。これからどんな景色や暮らしが待っているのか、とても楽しみです!

毎日、潮風や満天の星空に癒されながら暮らしています。

今は「いろんなことに挑戦したい!」という気持ちがとても強く、特に 「地域の人と関わりたい」 という思いがあります。

ただ、その関わり方をまだ明確に言葉にできていない気もしています。

現在は 2〜3ヶ月ごとに仕事を探し、事業所を決める形 で働いています。

保育士としての仕事はまだ複業の枠にはないため、 ベビーシッター、地域のサポーター、保育園でのボランティア など、できる範囲で子どもと関わる機会を増やしています。

関わりが増える中で、海士町には素敵な女性がたくさんいて、その姿を見て、「私もこの土地で、何かサポートできることがあれば」と強く感じるようになりました。自分なりに地域の方々をサポートできる方法を見つけ、実践していきたいという思いが芽生えました。

最初に思い描いていた「やってみたい暮らし」が、どれくらい実現できているのかは分かりません。

でも 「やりたいことに向けて動けている」 という実感があることが、今はとても嬉しいです。

これからの展望

本当は 「AMU WORKの中で保育者として、幼児教育や子育て支援など、子どもに関わる仕事をしたい」 と思っています。

でも、まだ前例がなく、未知の領域。

けれど 「AMU WORKには、誰ひとりとして同じことをしている人がいない」 という環境が、逆に心強く感じています。

これから私に何ができるのか?どんな選択をしていくのか?

まだ分かりませんが、 「自分だけの道があるはず」 と思っています。

だからこそ、その道を歩いてみたいし、そこで何が見つかるのか、どんな自分になれるのか――

良くも悪くも、すべてを楽しみにしています。

書いた人

岸田 真由

兵庫県出身。保育士の経験を活かした理想の働き方を実現するために複業中です。海士町で、「自分らしい保育の道」にチャレンジしています。

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