決意したきっかけ
地元で同じ園に7年間保育士として働いていました。でも、もっと学べることはないか、私に何ができるのかを知りたくなり、思い切って留学を決意。
もともと人と関わることが好きで、英語を学べばもっと多くの人とつながり、新しい世界を知れると思ったからです。
留学中は保育の現場でボランティアをしながら、カフェでバリスタとして働いていました。子どもとの関わり方や保育の考え方は国によって違いがあり、学ぶことが多かったです。特に印象的だったのは、ベビーシッターを利用することが当たり前となっている環境でした。このような文化に触れることで、子どもと向き合う時間の大切さや、そのためにどんなサポートが必要かを改めて考えさせられました。
そんな中で、保育士として働く場所は自分次第であり、どこででも自分の仕事を続けられると気づき、改めて保育士を続けたいという思いが強くなりました。
帰国後、今後の働き方を考えていたときに「保育士×◯◯」という海士町の保育プロジェクトを知り、興味を持ちました。「保育士の枠を超えて働く」という視点が面白く、実際に島を見に行くことにしました。

AMU WORKを選んだきっかけ
ただ、現実的には「保育士の仕事だけでは生活できない」「保育と他の仕事の両立には課題が多い」という問題がありました。
それでも 「この島に住んでみたい!」 という気持ちが強く、そんな私に 複業組合(AMU WORK) を紹介してもらいました。
「すぐに理想の働き方はできなくても、まずはここで暮らしてみよう」
そう思い、AMU WORKでの挑戦を決めました。
海士町での暮らし
実は、私はまだ海士町の「一番いい時期」を知りません。
見学に来たのは夏の終わり、移住したのは1月末。これからどんな景色や暮らしが待っているのか、とても楽しみです!
毎日、潮風や満天の星空に癒されながら暮らしています。
今は「いろんなことに挑戦したい!」という気持ちがとても強く、特に 「地域の人と関わりたい」 という思いがあります。
ただ、その関わり方をまだ明確に言葉にできていない気もしています。
現在は 2〜3ヶ月ごとに仕事を探し、事業所を決める形 で働いています。
保育士としての仕事はまだ複業の枠にはないため、 ベビーシッター、地域のサポーター、保育園でのボランティア など、できる範囲で子どもと関わる機会を増やしています。
関わりが増える中で、海士町には素敵な女性がたくさんいて、その姿を見て、「私もこの土地で、何かサポートできることがあれば」と強く感じるようになりました。自分なりに地域の方々をサポートできる方法を見つけ、実践していきたいという思いが芽生えました。
最初に思い描いていた「やってみたい暮らし」が、どれくらい実現できているのかは分かりません。
でも 「やりたいことに向けて動けている」 という実感があることが、今はとても嬉しいです。
これからの展望
本当は 「AMU WORKの中で保育者として、幼児教育や子育て支援など、子どもに関わる仕事をしたい」 と思っています。
でも、まだ前例がなく、未知の領域。
けれど 「AMU WORKには、誰ひとりとして同じことをしている人がいない」 という環境が、逆に心強く感じています。
これから私に何ができるのか?どんな選択をしていくのか?
まだ分かりませんが、 「自分だけの道があるはず」 と思っています。
だからこそ、その道を歩いてみたいし、そこで何が見つかるのか、どんな自分になれるのか――
良くも悪くも、すべてを楽しみにしています。