AMU JOURNAL

はたらく人の声

私がAMU WORKERになった理由〜藤原編〜

2021.4.7

書いた人 ― 藤原 夏実

経緯

大学卒業後は、何があっても生きていけるようにするために手に職をつけたいという理由でS Eとして2年間働いていたのですが、ずっとパソコンの前で働くのではなく動きたいと感じるようになり1年経ったぐらいから転職を考え始めました。ただ、1つの会社でずっと働くという今の日本でオーソドックスな働き方自体に違和感を感じていて、ここで働きたいと心の底から思える会社がなく、転職活動に行き詰まってしまいました。そんな時にたまたま登録していた求人サイトでこの海士町複業協同組合の求人を見つけ、面白そうだなと思い、お話を聞いてみることにしました。そこからはとんとん拍子に話が進んでいき、オンラインで島の訪問会に参加し、面談を受け採用が決まりました。面談時にもみなさん優しそうで、この人たちとなら楽しく働くことができるのではないかと強く感じました。

理由

一番は、色々な仕事ができる点に魅力を感じました。私はもともと好奇心がとても旺盛で、あれもやりたいこれもやりたいとなってしまう性格だったので、私がやりたいのはこういう働き方だ!と思いました。

次に、大学時代に受けた授業の影響でまちづくりに興味を持ち、そこから過疎化などを解消し、地方創生だったり地域活性化に貢献したいという気持ちがあったことや、ずっと東京暮らしで欲しいものはすぐ手に入る環境で暮らしてきたこともあり、東京では感じられない地域や人との繋がり、自然を感じて暮らしたいという想いから、島や田舎で生活をしてみたいという気持ちがありました。しかし、地域おこし協力隊などのお仕事は正規雇用ではないという点、任期が決まっているという点で不安な点がありました。ですが、海士町複業協同組合では無期の正社員での採用だったので安心して働くことができるなと思いました。

将来海の近くに住みたいと思っているくらい海が好きだったことや、色々な場所で働いていく中で自分の得意なこと苦手なこと、好きなこと嫌いなことなど自分についてもっとよく知りたいという気持ちもあったし、自分のことを知っている人が一人もいないところでまた一から交友関係などを作り上げていきたい、知らない人たちの中に入って自分がどれだけやっていけるのか試してみたいという気持ちもありました。

また、海士町自体が財政破綻しそうな状態から様々な取り組みによって回復した町であるという点から、今の海士町はとても積極的に活動を行なっていて活気がある町だという点も理由の1つで、私もそこで一緒に町をより良くする活動を行いたいと思いました。

海士町について

私は最初は知らない場所だと思っていましたが、海士町について調べた際に島留学を行なっているところだということがわかり、以前ニュース番組で島留学について見ていた記憶があり、この島なのかと思いました。私は海士町自体には一度も行ったことがないまま組合に入り働き始めることになり、どんな島なんだろうとワクワクドキドキ+不安な部分もあったのですが、島暮らしを始めてからは毎日楽しいです。私は。ぶっちゃけ求人を見つけた時に直感でこれだ!と思って決めた部分もあるんですけど。本当に来て良かったなと8日目にして思います。

周囲の反応

もともと友人数人と母にはこの求人が気になっているんだという話をしていたのですが、びっくりはされましたが私なら考えなくもないことだと思われていたように感じます。

ただ本当に島に行くことを決めるとは思っていなかった友人も多く、やっぱり驚かれました。友人や先輩などは今度遊びに行くねと言ってくれているので今から楽しみに待ってます!

ただ母はびっくりはしていなくて、自分がやりたいように生きれば良いという感じだったのですが、ただ、先のことをしっかり考えて行動しなさいと言われました。

前の職場の課長にも、一度きりの人生だから後悔しないように生きれば良いと背中を押していただいて、私は人に恵まれているなと痛感しました。 母も出身が鳥取ということで同じ山陰で、昔からいつかは隠岐に行ってみたいと思っていたらしいので、私が案内できるように準備しておきたいと思います!


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書いた人

藤原 夏実

東京都出身。幅広く学びたい気持ちが強かったため、大学では現代社会学という学科で社会学とメディアについて学んでいました。

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