AMU JOURNAL

はたらく人の声

私がAMU WORKERになった理由〜西野編〜

2022.9.21

書いた人 ― 西野 愛菜

海士町に移住した経緯

京都出身で大学を出た後、東京と石川で働いていました。前職の環境はよかったものの、「ちょっとここじゃないのかも」と思うことがあり、転職を考えるように。そんな時にご縁があったのが海士町複業協働組合です。

東京という日本の中心とも呼べる場所で働き、少し疲れていたのもあったと思います。その後、身近に自然がある石川で働いたことで自然をより感じられる場所の方が自分には合っているんじゃないかなと思うように。

そんな中、友達の勧めで海士町に遊びに来た時、「ここなら伸び伸びできるかも」と納得感と安心感があったので海士町に移住することを決めました。自分の中にいいなぁと思う気持ちが生まれればすぐに移住してしまう人間なので、離島移住に対してあまりハードルを感じていなかったです。

周りの反応

「離島移住」と聞くと大きなハードルを感じる方も多いかと思います。だけど、私の周りは「海士町かぁ、いいね。フェリーに乗れば帰ってこれるんだし、行っておいで」と送り出してくれる人が多かったです。意外と仕事や観光で海士町に行ったことがあるという人が多く、そういった方からも話が聞けました。

実際に来てみて

海は、広くて透き通っている。空も広くて、星が綺麗。そんな当たり前のことを身を持って実感しています。都会にいた時は、空は狭くてむしろ見上げることすらしていなかった。でも海士町は、朝は明るく夜は暗い、海も空も綺麗。考えれば当たり前の話なのですが、その当たり前って本当に存在するということを実感しています。

これからのこと

この記事を書いているのは、移住して5日目くらい。まだまだ島暮らしに慣れてない、わからないことも多いそんな状況です。どんなところで働こうか、地域の方とうまくやっていけるのだろうか、そんな不安ももちろんあります。でも、そういった不安も楽しむくらいの気持ちで頑張っていきたいです。

書いた人

西野 愛菜

京都出身。東京と石川で働いた後、海士町に移住。自分のやってみたいことをとことんやってみようと移住を決意しました。

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