AMU JOURNAL

寄稿文

これからのあなたらしさについて

2020.9.6

書いた人 ― 河本 直起

これからの社会

自分にとっての幸せとは何であるか、考えたことはあるだろうか。仕事、家族、学校、恋愛などなど、日々、目の前に山積する、やらなければならないことに忙殺されて、自分自身の幸せを見失ってはいないだろうか。新型コロナウイルスの世界的流行により、従来の生活様式が一変されつつある昨今の社会、AI時代が到来し、今の仕事はAIに取って代わられるかもしれず、今の自分のスキルがいつまで役立つのか分からない昨今の社会、それでも、これまでより長く生きる可能性は高く、特に経済的な面で将来への不安はますばかりな昨今の社会、そんな不確実性の塊みたいな社会において、今あるそれなりの「安定」を確保することに精一杯で、ゆっくり腰を落ち着けて自分自身を見つめ直すことは正直かなり難しいだろう。しかし、このような目まぐるしく起こる変化に巻き込まれているだけの、受け身の姿勢では、目の前の「安定」は確保できても、あとでふと我に返って、「あれ自分、何のためにこれまで生きてきたのだろう」と言いようもない虚無感にさいなまされる瞬間が必ず訪れる。また、その目の前の「安定」すら、変わりゆく社会の中でなすすべもなく失われてしまうかもしれない。そんな、社会の変化に振り回されていただけだったのだと気づかされるような虚しい瞬間が来る前に、今置かれている環境を離れ、就活のときにやったであろう「自己分析」を思い出しながら、もう一度自分の過去、現在、未来についての内省を繰り返し、ときに新たに築くコミュニティの仲間からのアドバイスも聞き入れながら、能動的に自分自身の人生における「軸=幹」を定義することで、自分だけの、オリジナルな幸せを実現するための行動へと移行することが必要ではないだろうか。

イラストレーション:大内 風

軸=幹の重要性

このような不確実な社会において、人生の軸=幹を自分の中に涵養することは非常に重要だ。なぜなら、その幹のおかげで、自分の日々の一つ一つの行動に明確な意味が生まれ、幹というその全ての行動を紐付ける一本の大きな柱のもと、日々起こる変化の中で自分を見失わずに済むからだ。ここで、改めて、筆者の考える「軸=幹」をしっかりと定義しておきたい。自分の中の幹とは、将来への確固たる道筋を示し、変化に対する柔軟性と冷静さを与えてくれるもの、変化する社会においてもアイデンティティと自分らしさを照らしてくれるものである。この先の社会では、自分の今までの価値観を揺さぶられるような出来事が頻繁に起こるようになり、その度に選択や決断を迫られるだろうが、そんな中でも自分が進むべき方向へと導いてくれるのが、幹の存在である。では、具体的にどのような文脈において幹の存在が重要なのだろうか。

人生のマルチステージ化

今までの人生のロールモデルは、大学まで教育を受けた後、企業に入って定年まで勤め、定年後はそれまでの貯金や退職金、年金を使って余生を過ごす、という大まかに3つのステージに分かれたものであった。しかもその中でも、できるだけ良い大学に行き、お給料や社会的地位の高い会社に入り、定年後は海外旅行などのより高次元の生活を、この3つのステージの中で送ることが良い人生だとされてきた。しかし、これからの時代では、そのようなロールモデルは通用しなくなるだろう。なぜなら、驚異的な医学の進歩のおかげで、100歳まで生きる時代がそう遠くない未来に必ずやってくるからだ。なにしろ、2007年に生まれた子供の半数は107歳まで生きると言われている時代だ。また、この先年金もしっかり払われるか分からないと言う不安もある。そのような時代に、65歳や70歳で定年を迎えていては、老後の生活がかなりひもじいものになってしまうだろう。逆に、老後にそれなりの生活をするために、80歳過ぎまで働き続けるとなると心身ともに疲れ切ってしまう。そこで、両者のバランスを絶妙に取るための、人生の「マルチステージ化」である。大まかな、教育→仕事→引退という従来の3つのステージに固執せず、例えば、キャリアの途中で仕事を中断し、社会の変化に付随して、新たに求められるようになったスキルの習得のために、教育を受け直す期間を設ける、大学卒業後すぐに働き始めるのではなく、一定の期間、自分がこれまで触れてこなかったような世界に足を踏み出し、そこでの新たな人との出会い、今までやってこなかったような活動を通じて、自分自身は今後何を大切に生きていきたいか、それを実現するために、今後どのような活動をしていくべきかを腰を据えて、じっくり考える期間を設ける(もちろんこれは、大学卒業後に限らず、何歳になっても、どんな立場の人間であってもできることである)、などが考えられる。このように、今までのロールモデルにならうのではなく、人生のあるタイミングで大きく環境を変える瞬間が何度も訪れることが当たり前になっていく中で、自分の中に、幹をしっかり持っていれば、そのような変化の中でも、自分の人生における幸せを見失うことなく、新しいコミュニティでもうまくやっていける可能性がかなり高い。多様な環境で過ごす人生でも、一貫したシナリオ描くことができる。

個へのフォーカス

先に紹介したロールモデルでも少し触れたように、従来いわゆる「成功」とされてきたのは、高学歴を手に入れて、ステータスの高い企業に入り、良いお給料をもらい、引退していく、というシナリオであった。しかし、今の時代、果たしてこれ“だけ”が本当の幸せなのだろうか。このシナリオを描くことそのものに執着してしまい、本当に自分が成し遂げたいこと、生きていく上で大切にしていきたい価値観をないがしろにしてはいないだろうか。今の社会を俯瞰してみると、SNSの発達により、個人が個人単位で活躍できるフィールドが圧倒的に広がったと言える。自分のスキルを活かして個人で稼いでいる人がたくさんいて、社会人に限らず、学生だろうがおじいちゃんだろうが、誰だって、組織の力を借りずとも、フラットに活躍できるようになった。また、組織にいたとしても、その組織内でも個人のスキルが今以上にフューチャーされていき、組織の枠を超えてプロジェクトベースで働くことも増えるだろう。そのような中で、「良い大学」や「良い会社」など世間体やステータス重視で、組織に入ることが目的になってしまう人生はあまりにもったいない。この先は、「どこにいるか」ではなく「何をするか」が大切になってくる時代ではないだろうか。そのような中で、やはり、自分の中に幹を持っていることで、この先問われ続けるであろう「あなたはどんな人で、何をやってきましたか?今は何をやりたいのですか?」という問いにも、迷うことなく答えることができ、個の力が試される社会にも、十分自信を持って立ち向かえるはずだ。


イラストレーション:大内 風

軸を見つけるために必要なこと

自分についての知識

冒頭でも少し触れたように、自分の過去、現在、未来について内省をすることは、幹の涵養に非常に重要である。5年後や10年後の社会は全く予想できない中で、どこに属しているかではなく、何をしているか、何が得意なのかがこれまで以上にずっと問われるようになる。また、AIによって、今までの仕事がますます取って代られるようになると、人間にしかできないこと、人間にしか持ち得ない「感情」に対する注目度が跳ね上がる。そんな「その人の考えていること」に自信を持って、そして、聞き手に納得感を与えられるように答えるためには、自分がどんなことにモチベーションを感じるのか、逆にどんなことに対してテンションが下がってしまうのか、どんなことに楽しさを感じてきたのか、といったような自分のこれまでの経験における自分の感情や「なぜそうしたか」の部分を紐解いていくことにより、自分の幸せの感じ方を整理しておくことが重要だ。こうした自己内省を通じて、「自分はこの先の人生で、こんなことを達成できたら、幸せに違いない」のように、幹の伸ばし方を描けるようになる。自分自身のアイデンティティを能動的に描こうとすると、自分の将来ありたい姿や逆になりたくない姿を鮮明にイメージできるようになり、そのイメージ像に近づくために、今自分は何をすべきなのか、5年後はどうなっているべきなのか、といった、将来への道筋を、社会の変化に惑わされることなく、主体的に描けるようになるのだ。自己内省によって、幹の方向性が決まったとき、後で自分の人生を振り返ったときに、「色々あったけど、芯の部分は一貫していたな」と心から自分の人生に納得できる可能性が大いに高まる。

多様性に富んだネットワーク

幹を育てようにも、どのような種類の苗木が売られているのかを知らなければ、育てようがない。そこで、色々な苗木を見せてくれるのが、自分の知らない世界で暮らしてきた仲間の存在である。新しい仲間によってもたらされる色々な幸せの形、その人が大切にしている価値観、目指している生き方は、自分が仮に情報として知っていたとしても、生声として届けられ、理屈を超えて、感情の部分まで知り得たときに自分の中で「幹候補」として深く心に刻まれるのである。自分の居心地の良い環境を抜け出し、新たな仲間と深い関係を築き、自分が歩んでこなかった世界に触れるとき、自分の中に「今後大切にしていきたいもの」の選択肢が増え、その中から自分は何を大切にしてこの先生きていきたいのか、を心から納得できる形で選び取ることができる。逆に、自分が居心地の良い、同質性の高い集団に居続けることは自分の中に幹を涵養することを妨げる側面の方が圧倒的に強い。なぜなら、皆同じような価値観のもと似たような幸せを達成しようと考えているので、自分自身の価値観を揺さぶるような強い刺激が圧倒的に不足するからである。新たな土地で作る新たな仲間がまさに芯にもつ幹に触れることで、自分自身の視野を大きく広げることができる。また、そのような仲間、ネットワークが自分の知り得ない職種、仕事に関する情報をくれ、より一歩、自分の幸せの実現に近づく可能性が高まる、ということが往々にして起こりうる。

新しい経験への貪欲さ

上記の、自分に対しての知識や多様性に富んだネットワークが幹の涵養における養分の役割を果たすとすれば、立派に育てていくために不可欠な日光の役割を果たしてくれるのが、実際の行動である。いくら自分についての知識を深めるための自己分析を行い、新たな仲間との関わりの中で、色々な生き方に触れられたとしても、そこに自分の興味、関心に基づいた実際の行動が伴っていなければ意味がない。従来のルーティンを自ら壊し、未知の生活に飛び込みながら、新たな習慣を醸成していくことで、自分のやりたいこと・やりたくないこと、得意なこと・苦手なこと、興味があること・興味がないことが整理されていく。大切なのは、新しい環境を旅行者気分で味わうのではなく、ある程度長い期間を設けて、その土地の人たちと密接な関わりを持つことである。その関わりを通じて、自分自身の価値観が「揺さぶられる」というフェーズにまでたどり着けるのである。それまでの日常から非日常に移るのではなく、それまでの日常から、その土地での生活を新たな日常に変えていくことが極めて重要だ。新しい土地で、新しいことをどんどん試す「実験」のフェーズを経れば経るほど、その「実験」を通じてたくさんの生き方、幸せのあり方が自分の中に色濃く刻み込まれていく。「実験」であるがゆえに、もちろん時には失敗も起こるだろうが、その経験すら、自分の中で一つ可能性を消すことができた、というとてもポジティブなものであるはずだ。また、ここでもうひとつ大切になるのが、そんな自分の価値観を揺さぶられるような経験をしてもなお、自分の中に変わらないものがあるとしたら、それも大変有力な「幹候補」であるということだ。住む街も関わる人目の前の活動も変わった中で、それでも自分の中に変わらない部分があるとすれば、それは今後も変わらないものである可能性が極めて高い。自分の中で何が変わって、何が変わらなかったのかを整理しておくことも大変重要である。

幹から枝、葉へ

様々な経験を経て、自分の中に幹を作ることができたとき、何が起こるのだろうか。幹という名の、自分のこの先の人生で大切にしたい価値観、オリジナルな幸せのあり方を自分なりに定義できたとき、それを達成するための行動に出ようというフェーズになるのではないだろうか。言い換えると、自分の「やりたいこと」を言語化できるようになる瞬間である。そこで大切なのが、その「やりたいこと」の広がり方である。言うまでもなく、その「やりたいこと」は自分が定義した幹から派生するものであるが、その「やりたいこと」は決して一つではないはずだ。なぜなら、新しい土地で、色々な価値観、人生観、幸せのあり方を持っている人に出会うという経験を経れば、自ずと、そこへのたどり着き方の道筋も一つではないことに気づくからだ。自分の幹から伸びるたくさんの枝は、自分の中の可能性として、自分の中に刻まれる。そして、その「やりたいこと」の一つが達成される中で、その枝に葉がつき、花が咲くのである。仮に、その「やりたいこと」のうちのひとつが失敗に終わったとしても、他の枝が、自分の幸せを達成するための別の道を示してくれる。なにより、このいくつもの「やりたいこと」の枝は、他の人とは決して重なることのない、多様な経験を経て涵養された幹から派生している分、その「やりたいこと」から滲み出る、納得感や説得力はかなり高い水準のものである上に、幹からの派生が、人生においていくつもの「やりたいこと」に挑戦する中でも、あなたの人生に強い一貫性を与える。

これからのあなたらしさ

今、あなたの目の前にあるのはなんだろうか。その目の前のことに意欲的に、主体的に取り組めているだろうか。また、その目の前のことを達成した先に、自分の幸せは存在しているだろうか。もしそうでないとしたら、今すぐにでも立ち止まって、上述のことにチャレンジして欲しい。「大学を出たら働かなければならない」「日々の暮らしの安定のために」というプレッシャーから、今の仕事に就いているとしたら、本当にそれはあとで振り返った時に後悔のない選択と言えるだろうか。また、自分の用いうる地位や名誉を守ることに必死になって、心が疲れてしまってはいないだろうか。そのまま、人生を過ごしてしまうのは実にもったいない。今、自分が人生のどのステージにいたとしても、自分自身を見つめ直し、「今後自分は何を大切に生きていきたいのか」「自分は何を達成できたら幸せなのか」をじっくり考える期間を設けてみてはどうだろうか。この先の人生におけるロールモデルは存在せず、自分自身で不確実な社会を切り開き、後悔のない人生にしていく必要がある。だからこそ、他人の人生、生き方に触れることで、みずからの価値観を問い直し、自分のアイデンティティと役割についてじっくり考えることが今こそ必要だ。

書いた人

河本 直起
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