AMU JOURNAL

はたらく人の声

私がAMU WORKERになった理由〜青木編〜

2022.9.13

書いた人 ― 青木 美伽

経緯

 今年の10月で30歳を迎えます。20代最後の年、ふとこのまま30代をむかえることが怖いと思いました。これからの自分の生き方、誰のために、どこで生きるか、何に向かって生きていくのか、ぼんやりとした不安を抱えて、転職を考えていました。安定を求め仕事に追われた生活でなく、豊かな暮らしを起点とした働き方を求めていたように思います。

 そんなときに、何気なくつけたテレビで海士町の複業協同組合を知りました。

 年代問わず、若い世代の人たちが島の産業に興味を持ち、この島へ移住し、仕事としてこの島の人たちや産業に関わりを持ちながら、生きる姿がとても輝いて見えて、素敵だと思いました。

 一つの職業にとらわれることなく、島のあらゆる産業をつないでいく新しい働き方。一つの小さな離島だからこそできる働き方。私も島で生きる人たちと沢山つながりを持ちながら、自分の生活や生き方を見直していきたい。そう思いました。

移住を決めたきっかけ

 海士町へ見学へ来て、奥田代表理事とお話させていただく機会がありました。その中で、海士町は小さな離島であるため、出来ることが限られていたり、大きなことをしようと思っても、なかなか難しい面があるけれど、一人一人の方が、現状に満足することなく、日々みんなが挑戦して生きているということ。失敗してもいい、大きなことでなくていい、ただそんな挑戦していく毎日にやりがいや生きがいを感じながら、みんなが楽しんで生きているということを教えていただきました。

 現状に満足することなく、毎日をよりよくしていきたいと思って生きている人たちが沢山集まった場所。自分がやってみたいと思ったことにとことん挑戦していくことのできる場であるということを知り、希望を感じ、移住を決めました。

実際に来て見て

 ずっと海には縁がなかったのもあるのですが、隠岐の島の海は本当に綺麗でびっくりしました。少し海の中を覗くと、水族館でしか見たことのない色鮮やかな魚がたくさんいました。魚の名前はもちろん全然わかりません…。

 後は、私の住む町の区長さんをはじめお会いする方々、とても親切に声をかけてくださるのも、びっくりです。慣れないことも多いので、戸惑う中、そんな方々の笑顔にとても有難く、励まされています。わからないことばかりですが、これから少しずつ海のこと、この町のことに興味を持っていきたいです。

書いた人

青木 美伽

三重県出身。2022年6月に放送された「ガイアの夜明け」を見て、海士町複業協同組合を知る。AMU WORKERとして島の人と働く姿に憧れて移住を決意。

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