AMU JOURNAL

はたらく人の声

私がAMU WORKERになった理由〜小山編〜

2024.2.7

書いた人 ― 小山 澄佳

島暮らしのこと

離島暮らしに興味を持ったきっかけは、大学生の時に行った離島教育研究でした。

訪問先の離島では、泊まった民宿のお父さんが、取材先の中学校まで案内するよ。と言って、なんと校長室まで入って繋いでくださるという光景に衝撃を受けました。

転勤族だった私は、まちの人同士の距離が近い環境が新鮮で、いつか離島で暮らしたいという想いを抱くようになりました。

海士町に移住した経緯

前職は東京の不動産会社で、地域の小商いを支援する仕事をしていましたが、もっとまちの人と関わりながら働き暮らしたいと思い、離島暮らしを前向きに考えるようになりました。

そんな中2022年のアイランダーで、海士町の移住ツアーがあるとお聞きし、一度来島することに。島全体で新しいことに挑戦し続けており、東京にいるよりも面白そう!という印象を持ちました。

これまで訪問した島の中でも、若い女性の移住者が多いことが大きな安心材料となり、縛られるものが少ない20代のうちに海士町への移住を決めました。

AMU WORKを選んだ理由

島の教育や観光、食…など、興味の幅が広すぎて、一つの仕事に絞りきれなかった私にとって、複業という働き方はピッタリでした。

第一次・第二次・第三次産業をゆるやかに移動しながら、行政面や観光業など、あらゆる分野で並行して働くことで、いろいろな繋がりを紡いでいきたい、と思い転職を決めました。

海士町に来てみて

高頻度でまちのどこかで面白いイベントがあり、島のアプリや掲示板で情報が知れること。

Googleマップにあるお店の営業情報より、人伝に聞く営業情報が正しいこと。

SNSでの情報が溢れる世の中ですが、まちのツールや人に聞くことが情報への近道なのかもしれません。海士町で楽しく暮らすためのヒントがまだまだたくさんありそうです。

せっかく豊富な自然に囲まれた場所なので、野菜を育てたり、海に出たり、365日新しい発見のある日々になったらいいなと思います。

書いた人

小山 澄佳

5県出身。大学で行った離島教育研究をきっかけに、離島暮らしに興味を持ち、海士町へ。教育や食、地域づくりに興味があります。

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