AMU JOURNAL

はたらく人の声

私がAMU WORKERになった理由〜関田編〜

2023.7.19

書いた人 ― 関田 裕子

海士町に移住したきっかけ

前職では缶詰メーカーでパッケージやグラフィックのデザインを担当していました。その会社の上司と同僚と休日によく船釣りに行くことがあり、天候が良くとも悪くとも、楽しかろうが最悪の気分になろうがとにかく船に乗る生活がしたいと思うようになりました。
新たな生活の拠点として、はじめは太平洋側の漁港をリサーチしていました。その時にたまたまネットで海士町のことを知り、移住ツアーを経て、いっそのこと離島まで行ってみようと思ったのがきっかけです。
なぜAMU WORKを選んだのかというと、島に関わる仕事を手広く知ることができると思ったからです。時期に応じて色々な仕事に関われるという特徴が、自分には魅力的でした。

*移住ツアーについて(https://smout.jp/plans/11668

海士町に来てから

現在はCAS凍結センター(水産加工業)に勤務し、岩牡蠣やイカ、アジ をはじめとする、海士でとれた商品を梱包・発送する業務に携わらせていただいています。前職は完全にデスクワークだったので、食品加工の現場を知ることができてとても充実しています。
海士町ネイティブの社員の方々から、海士町での生活のしかたや旬の魚のおすすめの料理、漁の状況などの話を聞くことができて面白いです。
普段の生活では、シマメと呼ばれるスルメイカと白イカの、それぞれ若干異なる捌き方を近所の方からレクチャーしていただいたり、近所の堤防で釣った魚を晩ご飯にしたり、仕事帰りに放牧から脱走した牛たちを確保する現場に立ち会ったり…。
仕事だけでも覚えることがたくさんありますが、普通に日常を送る中でも今までの自分ではとうてい得られなかった出来事が次々に起きて、目まぐるしい毎日を送っています。

暮らしのこれから

海士町に来る前・来たばかりの頃は船に乗って生計を立てる事しか考えていませんでした。来島してまだ間もないですが、最近では、そもそもなぜ人は漁をするのか、何の為の漁なのかなど、大袈裟な表現かもしれませんが、自分の固定観念を見直しはじめました。
今は仕事も生活も新しい出会いがありすぎて、それを大事にしていくことで精一杯で、そしてそれが何よりも楽しいです。この島で自分に合った暮らし方を少しずつ見つけていきたいと思っています。

書いた人

関田 裕子

奈良県出身。魚を釣ること、調理することが好き。現在は、CAS凍結センターと森林組合で勤務。

関田 裕子 の他の記事