AMU JOURNAL

はたらく人の声

私がAMU WORKERになった理由〜村尾編〜

2023.5.9

書いた人 ― 村尾 怜奈

経緯

 私の祖父母の実家が海士町にあるため、幼い頃から年に一度くらいの頻度で海士町へ遊びに来ていました。綺麗な海や星が満開と表せるような夜空、豊かな自然の中に流れる穏やかな海士町の雰囲気が大好きでした。
 新型コロナウイルスの影響で約3年ぶりに海士町を訪れ、自分の故郷ではないけれど、帰省するような安心感と懐かしさがありました。

移住を決めたきっかけ

 1年前、18歳になった私は自分の将来を考え、漠然とした不安を感じました。高専に進学し電気の勉強をしていましたが、電気関係の仕事に就くことは考えていませんでした。そんなとき、ふと海士町で暮らす未来を想像してみました。心が踊るようにワクワクしている自分がいました。初めて自分の将来に楽しみを覚えました。
 しかしここで問題発生、仕事は?どうしよう。海士町での生活が夢となってしまいそうな頃、「ガイアの夜明け」でAMU WORKと出会いました。いろいろなお仕事を通じて、島と島の人と様々なかたちで関われることにとても魅力を感じ、海士町へ人生のコマを進めようと思いました。

移住からの数日間

 幼い頃から海士町を訪れていた私ですが、そのほとんどを親戚の家と祖父母の実家で過ごしていたため、海士町の「あ」の字ほどしか島のことを知りませんでした。晴れの日の明屋海岸は、素晴らしく気持ちがいいこと。春の隠岐神社は、満開の桜に囲まれ心も彩られるような気分になること。雨の日の海士町中央図書館は、雨音と鳥のさえずりと本の匂いでいつまでもここにいたいと思うこと。数日で様々な発見がありました。そんな海士町を取りたての免許でドライブ。たどたどしい運転も、春の陽気に緊張がほぐされ、暖かい風が気持ちよく感じられました。

 初めての一人暮らしですが、縁(ゆかり)のあるこの島に見守られながら、これからの生活を楽しみたいと思います。

書いた人

村尾 怜奈

島根県松江市出身。親戚のいる海士町で、AMU WORKに挑戦。この間まで、高専で電気の勉強をしていました。

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