AMU JOURNAL

事務局長日記「そして日々は続く」

5年前の僕は、漁船に乗っていた。

2020.12.25

書いた人 ― 太田 章彦

今になって、5年前に書いた自分の文章が出てきた。定置網の漁船に乗っていた経験を書いた文章だけれど、読み返すと、漁船に乗っていた時間が自分にとってどのような時間だったのかが思い出せる内容になっていた。5年経っても消えない記憶が自分の中に眠っていて、読み返すことによりその記憶に付随する感覚まで思い出すことができて、嬉しい気持ちになった。


2015年になって少ししてから2月20日までの約1ヶ月半の短い期間、海士町の南端に位置する崎地区の定置網漁で、僕は漁師のお手伝いをしていた。

写真:太田章彦

毎朝4時半に港に集まり、夜明け前に船で海に出る。真っ暗な中、海に浮いているブイを見つけ出して、そこから網を手繰り寄せながら仕掛けの奥へと獲物を追い込む。そして、仕掛けの奥まで追い込んだら、網で掬う。漁自体は単純な仕組みだけれどそこへ、潮の流れ、波の高さ、風の向き、気温、天候等が加わることにより、知識だけでなく経験がモノを言う仕事になっている。

写真:太田章彦

今年はシマメ(真イカ)が大漁だった。印象的だったのは、シマメの大群が仕掛けに入ったときのこと。暗い海の中でシマメの大群が銀色に光り、うねる。それはもう凄まじい光景で、初めて見たときは圧倒されるというか、鳥肌が立っていた。シマメを網で掬うときも、初めて見たときは、想像してはいたけど驚いた。シマメがとにかく墨を吐く。ブシューブシューという墨を吐く音で溢れ、網で掬う人はイカ墨をひたすら浴びながら作業をする。カッパはおろか顔まで墨で黒くなっているのを見る度に、このポートレートを撮りたい…という想いが湧くのだった。(結局、撮れなかったけれど…。)

この季節の漁は、気温は低く、風は冷たくて、とにかく寒い。僕は冬の海に慣れていなかったので、船に乗る度に、指が凍傷になったらどうしよう、と本気で心配するくらいに寒かったのですが、なんとも不思議なもので、船の上で動いていたら汗をかく。カッパに雪が積もっていても、風が痛いくらいに吹き付けても、目の前で起こることに夢中になっていたら寒さを忘れて、もはや興奮さえしてくる。自然に大きく影響を受ける仕事なだけあって、こんなにも自然を感じる職場を、僕は素敵に感じた。

写真:太田章彦

(2015年)1月31日、第5回島会議「島の環境会議」の交流会の料理の海の食材は、この船の漁で獲れたものだった。ブリやカワハギが鍋の食材として用意されていた。それを、島会議の交流会に参加されたお客さまが美味しそうに食べるのが見えて、とっても嬉しい感情が湧いた。この食材がお客さまに届くまでの話を語りたい、と思った。それと同時に、お客さまが美味しそうに食べていたことを漁師さんたちに伝えなくちゃ、と思うのだった。

(海士からの島だより2015年3月号より)

書いた人

太田 章彦

島根県出身。事務局。2013年から海士町暮らしをスタートしました。趣味は写真で、温泉とビールと旅行が大好きです。

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