AMU JOURNAL

はたらく人の声

私がAMU WORKERになった理由〜高谷編〜

2021.4.7

書いた人 ― 高谷 朱理

正直、なにを書いていいのか分からない。

「去年の自分に向けて記事を書くように」が私の初仕事。
去年の自分は今なにをしていたか、考えるところから始めた。
当時は専門学生で就活の時期だった。
映像の学校だったから当たり前に映像業界に進むと思っていた。
好きだ!と言いながら、本当に映像が好きで作りたいと言えるか自信がなかった。

海士町複業協同組合に入りたいと思ったのは 「島に行きたい!」それだけだった。
一目惚れをしたことが無いが 一目惚れしたらきっとこうゆう感覚だと思った。

色んな仕事をして経験を積もう。
その中で映像を作りたいと思えば 作ればいい。
自分が本当に映像を作りたいのか知りたかった。

海士町に来て時間のある限り映画を見ている。
久しぶりの感覚。学校に行くためにアルバイトをしていた。
だけどいつしかアルバイト中心の生活になって映画を見る余裕すら無くなっていた。
私は時間が欲しかったと知った。

海士町のキャッチコピーは「ないものはない」
奈良で暮らすより不便な事があるかもしれない。
それでもいい。ないものはないのだ。
それに私は映画を観れている。
知るところから始めようと思う。

海に浮かんだ夕陽はこんなに綺麗だと島に来て知った。
仕事の帰り道に牛がいて「ばいばい!」と言いたくなる気分だった。
何かが変わる気がしてワクワクしている。

書いた人

高谷 朱理

奈良県出身。大阪の映像の専門学校を卒業後、新卒で組合へ。海士町で色んな仕事をして、経験を積みたいと思っています。

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