AMU JOURNAL

はたらく人の声

暮らしの部分に、つながっているんだな。

2023.3.6

書いた人 ― 空閑 みなみ

空閑さんがAMU WORKERとして働き始めてもうすぐ1年が経ちます。
今回は1年の振り返りと称してお話を伺いました。

—「私がAMU WORKERになった理由〜空閑編〜」で島に来た理由について書かれていましたが、島に来る前からやりたいことやビジョンみたいなものはありましたか?

島に来る前は、特に、ちゃんとしたビジョンもなかったです。とりあえず働きながら、作りたくなったら映像の作業を趣味としてできればいいなと考えていました。それと、高校生の時に、将来の夢を発表する機会があって、その時に「みんながやってないことやります!」と言ってしまったことをふと思い出して(笑)知り合いがひとりもいない離島、そのうえ、AMU WORKERって、確実に誰とも被らないだろうなと。こうした条件も重なって、現状に辿り着きました。

—最初の働き先はどのように決めましたか?

働き先を決める面談をして、私の場合は既にAMU WORKERの先輩がいるところに入ったほうがいいんじゃないかって言われて。3つ候補がありまして、「ワイルドなことをやりたい」というセンサーで森林組合に。あと、私の場合、誰もやらない且つ面白そうなことに走ることが多くて。新卒で山に入るなんて、普段聞かないことだけど、誰もやらないことをやりたい。きついのが分かっていても、そっちに走っちゃうみたいな。森林組合では、体力と機械を使った草刈りのスキルが身に付いたので、家の周りの草刈りも短時間でできるようになりました。

同時に、休日にお菓子づくりを始めました。

空閑さんの作るお菓子。とても美味しそうです。(空閑さん提供)

—森林組合の次は?

森林組合の次は、つなかけという、お土産とパンを製造・販売しているところで半年間働きました。海士町に来てから休日にお菓子作りをしてたのもあって、もうちょっと勉強したくなり、パン屋さんにいこうと。つなかけでは、はるかに記憶力が伸びましたね。

—パンのコネ方ではなく?

パンよりも記憶力(笑)あと効率よく回すための動き方とか、時間配分とか。家でお菓子を作る時はのんびり作っていてもいいけど、つなかけでは販売や配達の時間に間に合わせなければいけないので忙しくて。最初は家に帰ると、うまく動けない自分にずっと落ち込んでいて、途中、3ヶ月で辞めようかなって思った時もありましたが、やり遂げたい気持ちも大きくて。そうしていたら、段々、何で今こんなに大変なんだろうとか、何で人が足りてないんだろうとか。そうしたこともちゃんと考えたいなと思って、半年間がっつり入りました。

—12月までつなかけで、1月からは?

B&Bあとどっていうところに。

現在は、あとどの他に島じゃ常識店でも勤務されています。

—それはまたなぜ?

ゲストハウスとか、シェアハウスの運営に興味があって。また、なんで唐突に出てくるんだ?って思うかもしれないですね。今シェアハウスで暮らしていて、時々遊びに来る人がちらほらいて、そういうのがカオスで面白いなと。そうやって普段の暮らしから、シェアハウスの一室貸し出しがあったら楽しそうだと考えるようになって、それであとどに。宿泊客数が多いと大変ですが、もともと掃除が好きなので、好きなことできてるなっていう気分で楽しいです。

—週報を読んでいて、なんでこんなにタイプの違う事業所に行っているのかと思っていましたが、森林組合も、つなかけも、あとども、つながってないようで全部「暮らし」につながってるんですね。

林業は一次産業だし、つなかけは二次産業、あとどは三次産業だしって、産業で区切るとすごいバラバラに見えるけど、今話してて、「暮らし」の部分につながっているんだなって思いました。自分でも他のAMU WORKERと比べて、事業所選びに統一感ないなって思ってたけど、実はありましたね。全部網羅している。これがマルチワーカーだ!(笑)

—なるほど!確かに!

それと、自分は何が得意なんだろうって考えたときに、空いてるところに入り込むのが得意だなと思ってて。

—空いてるところに?

はい、空いてるところに。私が父の転勤で引っ越しを繰り返してて。そのときに考えてたのが、ずっと同じ学校にいると、この人は足が速いですというようなイメージがある程度定着してると思うんですけど、私は転校を繰り返すからそういうイメージもないし、どれくらいその学校にいるか分からないから、「誰にどう思われても大丈夫」って割り切れる部分があって。例えば、合唱コンクールでピアノを弾く人がいなくて、話が進まないとしたら、ピアノ練習してみよ、みたいな感じでやってみるとか。そうした意味で空いてるところに入り込んでいたなと。だから、海士町に来る前から、複業っていう訳ではないけれど、マルチにいろんなところで動き回っていたかもしれないです。

春の明屋海岸(空閑さん提供)

あと、なぜ異色な生活を続けてこられたのか振り返った時に、今周りにいる人たちはもちろん、「あなたみたいに斜に構えている人は必要だから」っていう言葉が支えになっていて。この言葉は、大学受験の時、小論文の添削をしてくださっていた先生から言われた言葉で、当時それがグサッときて、今でも覚えています。進学校にいたからみんなすごい受験にやる気があったけど、私はそんなにやる気がなくて、なんでみんな必死になれるんだろうって考えてた時期でもあったから、そういうときに先生がズバッと「あなたみたいな人が必要だから」って言ってくれて、あ、こんな感じでいいんだと思って。それから、今も同い年の人たちとはちょっと違う方向に走ってても平気なんだろうなっていうのがありますね。

森林組合での作業にて。斜めの構図。(空閑さん提供)

—この1年で印象的な職場やシーンはありましたか?

どこの職場もはっきり覚えてるのは、みんな必死だなって。人手が足りないところに働きに行くので、誰かがやらないとまわらないみたいなところが多くて。それを埋めることがAMU WORKERの役割の1つであることをひしひしと感じました。学生時代にバイトをしていたときは、自分がいなくても代わりがいるから大丈夫という感じで、あまり自分の存在に重要性は見えなかったです。比べて、海士の事業所で働くとなると、1人の存在がとても貴重に思えました。それに、どの現場でも一緒に働く人たちの仕事に対する積極的な姿勢はとても印象的でした。

—この1年AMU WORKERとして働いてみて、どうでしたか?自分に合っていると感じましたか?

合っていると思います。ただ、この先事業所を変えることを永遠に繰り返すのは厳しいなと思ってて。1年である程度自分のやりたいことの方向性が定まってくる気がしていて。いろんなところを回ることによって、自分の意思がブラッシュアップされていくっていうのは良さだと思う。でも、ただただ回されてるみたいな気持ちだとちょっとしんどくなるかな。途中で何かこれだ!っていうものが見つかったらいいと思います。逆に、そういうのがなかったら苦しいかなと。仮にそうだったとしても、次のところに行ったりして、また何か別のものが見つかるかもしれないし…。とりあえずやってみることが大事だと思います。

—今後やりたいことはありますか?

映像に関しては相変わらず脳の10%くらいを占めてて、アイデアがあればやりたいなっていうのがあります。話が少し戻りますが、4月からお菓子作りを始めたことをきっかけに、お菓子屋をやりたいと考えていました。そこから、パン屋をやりたいなっていうのに変わって、さらにまた変化して、今は発酵つながりで味噌を作りたいなと思ってます。単純に発酵食品に興味が湧いてきたのと、島で作ることができる原料で生産過程を回していき、島外のものを使用している一部ホテル等で自分が作ったものが使われるようになれば良いなと考えています。

—ここでも空いてるところに入る話や、暮らしが大切だっていう話につながるんですね。お話しありがとうございました。

編集後記】
今回空閑さんのお話をお伺いし、仕事と暮らしがどんどん混ざっていっているのを感じました。1年後にまたお話を聞くと、「味噌を作りたい」からこんなところに繋ったのか!という発見がありそうですね。来年お話を聞くのがとても楽しみです。

インタビュー:中川麻畝

書いた人

空閑 みなみ

1道5県出身。大学で映画学を専攻した後、新卒で組合へ。最近は、"編むこと"に縁があるようです。

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