AMU JOURNAL

はたらく人の声

私がAMU WORKERになった理由〜浜口編〜

2022.1.10

書いた人 ― 浜口 夏生

大学〜就職

母親がピアノ講師ということもあり、物心ついた頃からピアノを習っていました。小学生の頃から様々なコンクールや発表会に出ていたため、自分は必ず音大に行ってピアニストになれるのだと本気で信じていました。

実際音大には行くことができました。しかしレッスンや授業を受けて、友人の演奏を聴いて…を繰り返していく内に、「あ、私には到底無理だ」と痛感しました。今まであまりに勉強不足すぎたと。ピアニストと名乗れるレベルまで上り詰める人はどれだけ少数派なのかと。

挫折というやつを味わい、音楽以外のことを始める決断をし、今後どこへ行っても役立つ仕事=PC関連のお仕事だと考え、IT企業へ就職しました。

前職では人間関係も仕事内容にも何の不満もなく、辞める理由は見当たらなかったのですが、ある日見た2人のYoutuberさんをきっかけに、今一番やりたいことが見つかってしまい転職を決意しました。

離島移住のきっかけ

テレワークにも慣れてきた頃、“素潜り漁師マサル”さんの動画を見たことが、離島移住を決意した第一歩です。離島に住み自分で家をリフォームしたり、自分で取った魚を捌いて食べたり…という動画を見て、そのライフスタイルに強い憧れを抱きました。

その時は漁師になりたいという思いは一切なく、頭の中は「離島でテレワークを。」です。

漁師を目指したきっかけ

初めは一切「漁師」という職業に興味はなく、というよりも周りに漁師の知り合いがいないため、興味を持つきっかけもありませんでした。


しかしマサルさんの次に見た“小豆島の漁師はまゆう”さんの漁動画に心臓がゾワゾワする感覚を覚え、「離島でテレワークを。」という目的で始めた移住計画はいつの間にか「離島で漁師を。」に変わっていました。

海士町との出会い

様々な移住先を探していくうちに、漁業だけでなくいつか農業もやってみたいな〜なんて思っていた矢先、SMOUTという地方移住サイトで海士町複業協同組合の記事を見つけました。

未経験でも漁師に挑戦できること、記事内にあった「半農半漁」という言葉に魅かれ、これだ!と迷わず応募しました。その後のオンライン面談の中で複業という面白い体制にも興味を持ち、早速島へお邪魔しました。思い立ったら即行動したい私には、この時期に「島へおいでよ」と言っていただけたことも大きな決め手となった一つです。(コロナ禍のため仕方のないことですが、他に検討していた場所は全て、招待できるのは来年以降かな〜という感じでしたので)

実際に島へ足を運び、何より人と景色が良かったこと、今私が求めているものを経験させてもらえそうなこと、元々4月入社を採用する面接でしたが、もっと早く来てもOKと言っていただけたことなど全て引っくるめて、これは行くしかねぇと気持ちがガッチリ固まりました。

今後の目標

まず一つ目は初めての漁船に酔わないこと。この記事を書いている次の日が初漁船予定のため、最初は「酔わない」だけを目標に頑張りたいです。(酔い止め忘れた…)

次に自給自足の生活にできる限り近づくこと。自分で取った魚と野菜で生活したい!という思いが強くあるので、農業…ではなく最初は家庭菜園の勉強から始めようと考えています。

次に趣味を見つけること。今はこれといった趣味も持ち合わせていない悲しい人間ですので、夏はマリンスポーツが体験できたらいいなと思っています。

目標は他にもありますが、まずはこの3つを達成することが4つ目の目標です。周りの方々へ感謝の心を忘れずに、悔いのない離島生活を送りたいと思います。

Vamos!

書いた人

浜口 夏生

茨城県出身。音大を卒業後、IT企業へ就職。Youtubeで素潜り漁師の動画を見て衝動が抑えられなくなり、離島移住を決意。AMU WORK卒業後は、はたらき先である飯古建設の定置網漁師へ転籍。

浜口 夏生 の他の記事