AMU JOURNAL

はたらく人の声

私がAMU WORKERになった理由〜宇谷編〜

2022.8.10

書いた人 ― 宇谷 康志

経緯

​​ふと10年後の50代の自分を想像してみた。毎日、平凡に時間が過ぎている今、10年後も変わっていないかもしれないと思うと少しゾッとした。

専門学校卒業後、地元の福祉の会社に就職。十数年働き退職、その後はネット販売等の仕事をしていた。毎日が流れ作業の様に過ぎていく日々に不安を感じつつも同じ様に過ごしていた。

メディア等で新しく始めるのに年齢は関係ないという言葉をよく耳にする。今まではそんな簡単に始められない。なんて都合の良い言葉なんだろうと思っていた。ただ、この先に不安を感じていた自分にとって年齢は関係ないという言葉は今までと違い心強い言葉になっていた。

なぜ海士だったのか

メディアで海士のことが記事になっていたり、息子が島前高校の体験入学に参加したこともあったので海士町のことは前から少し気になっていた。

どうせなら環境も仕事も今までにやったことのないことがいいだろうと思い、ネットで色々調べ、複業組合という存在を見つけた。その時初めてこういう働き方があることを知り、ここなら漠然としか考えていなかった自分でも色々な仕事ができ、その中から自分に合ったものを見つければいいと思い、これなら思い切って移住できると感じた。また、素人でも受け入れてくれる職場環境もありがたいと感じた。

HPで見た、女性が定置網や森林組合で働いている姿を見て、これは自分も頑張らないとと思った。

周りの反応

長年地元に住んでいたので自分も周りがどう反応するかをちょっと気にしてたが、親、兄弟、仲の良い友人の反応はもちろんびっくりはしていたがみんな結構あっさりしていて、気にしていたのは自分だけだった様です。みんな気持ちよく背中を推してくれて感謝してます。

実際に来てみて

今、この記事を書いている時点で海士にきて約1週間経っています。引越し、手続き等でバタバタしましたがやっと少し落ち着きました。まだ、島民初心者ですが、とりあえず働く場所も決まって、また不安が強くなってはいますが、働いて遊んで、島での生活を(中年ですが)エンジョイしたいです。

Iターンの方は若い方も多いので精神年齢が若くなりそうで期待してます。

書いた人

宇谷 康志

島根県大田市出身。40代バツイチ独身。新しいことにチャレンジしようと決意。やるなら環境を大きく変えようと、思い切って海士町へ移住。

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