AMU JOURNAL

はたらく人の声

私がAMU WORKERになった理由〜高瀬編〜

2023.5.31

書いた人 ― 高瀬 由衣

AMU WORKを知るまで

2022年9月に大学院を卒業し就職活動を始め、2023年1月から、就職活動をする中で出会った方々の会社でお手伝いさせていただくことになりました。

一つは減プラ製品の販売する会社のイタリア出身社長のアシスタント。
もう一つは、途上国での雇用創出に向けてタイやネパールの手作りの製品を販売する会社の営業・マーケティング。

どちらのお仕事にもそれぞれの難しさがありつつ、難しさの中に楽しさを見出しながらお仕事に取り組んでいました。

来島前に訪れた、お手伝いしているネパールのいちご農園

けれど実際にお仕事を始めてみて、ふと私が大切にしたいことは何だろうと考えると、
同僚やお客さまの声を大切にしながら活動することなのではないかな…と一つの興味がふと生まれました。

とはいえビジネス初心者の私を迎えてくれた2社(2人)にちゃんと貢献したいという気持ちもあったので、2社とのお仕事を続けつつも、人々の声を大切にする活動にも参加できないだろうかと仕事探しを始める中で出会ったのが、海士町複業協同組合の「複業」「AMU WORK」というお仕事との向き合い方でした。

海士町で暮らしてみたいと思えたワケ

今のお仕事を続けながら、新しく人の声を大切にする活動に参加できるかもとAMU WORKに応募し、移住ツアーへの参加を経て、やっぱり海士町で暮らしてみたいと思えたのは、海士町への興味が膨らんでいったからなのだと思います。

移住ツアーではAMU WORKER 宇谷さんのインタビューに同席したり、さくらの家 本多さんや事務局 宮原さんとお話したりし、自分の気持ちを、自分の言葉で語る空間に心地よさを感じました。そんな一人ひとりの異なる在り方が混ざり合いながら存在している海士町を、もっと知りたい、学びたいと思うようになりました。

*さくらの家 本多さんの記事:https://ama-town.note.jp/n/n5f755fff40c5(海士町公式noteより)

元々、AMU WORKに辿り着くまでに人々の声を大切にできる活動に参加したいという想いがあったので、海士町の人々の在り方への印象深さが「ここはきっと私が頑張りたいことを頑張れる場所なのでは…!」と後押ししてくれたのだと思います。

海士町に来てみて

来島して数日。新しい土地で暮らし始める瞬間は、とっても緊張します。お隣さんへの挨拶も、商店でのお買い物も、車の運転も、自炊も、私にとっては小さな挑戦続きです。

そんな小さな挑戦続きの日々の中で「海士町にあるもの」に心が救われています。商店の店員さんやお隣さんとの、何往復かで紡がれる丁寧な会話にホッとしたり。車の運転中に窓から見える海や木々があまりにも気持ち良くて、わざと遠回りしたくなったり。

ドライブ中に立ち寄った海士町の海(高瀬さん撮影)
ドライブ中に立ち寄った海士町の山(高瀬さん撮影)

まだどこか心がざわざわしてしまう移住直後の日々ですが、私にとって心地よい暮らしを見つけられるように日々緩やかに小さな挑戦を積み重ねていきたいなと思います。

書いた人

高瀬 由衣

埼玉県出身。海士町で、人々の声を大切にできる活動をしたいです。現在は、「障がい者グループホームあまの里」「脇谷商店」「民宿 但馬屋」の3つで勤務。

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