AMU JOURNAL

はたらく人の声

ここなら、できそうな気がする

2023.3.14

書いた人 ― 宇谷 康志

インタビュー形式でAMU WORKERの皆さんの1年間を振り返る企画、第2段。
今回は、宇谷さんにお話をお伺いしました。

—では、「私がAMU WORKERになった理由〜宇谷編〜」と、少しお話が被ってしまうかもしれないんですが、改めて海士町にくる前のお話をお伺いできればと思います。

海士町に来る前は出身の島根県・大田市にいました。専門学校を卒業後、ずっと大田で福祉系の仕事を。介護士さんをしたり、ケアマネージャーをしたり。そんな感じで15年仕事をしましたが、35歳くらいのときに退職しました。そこから1年くらい旅に出かけ、47都道府県全部回ったかな。そのあと、ネット販売系の仕事を個人でやっていましたが40歳を過ぎた頃から、このまま50代を迎えた時に人生を楽しんでいる姿をイメージできなかったこともあり、人生一度きりだし思い切って環境を変えたいなっていうので、去年の8月に海士町に。

—日本を一周されて、他の地域も見る中で、海士町を選んだのはどうしてですか?

他の地域でも良かったのですが、住むとなるとやっぱりハードルが高いかなと思って。海士町は、地元と同じ島根なのと、以前からメディア等で移住が盛んな地域だという認識はあったので環境を変えて移住するには良い場所かなと思ったことがきっかけです。

—来る前に想像してた海士町の暮らしとか、こんなことやれるといいなっていうことはありましたか?

暮らしについては、自分が元々いたところも田舎なので、まあこんな感じかなって。コンビニや大手スーパーはないけれど、ネット通販もあるのでそこまで不便さを感じてないですね。仕事の部分については、自分はとにかく環境を変えたいという思いが強かったので、とりあえず色々な仕事をやってみて、もしだめなら最悪帰ればいいし、最初からあまり強い思いをもって行くと、理想と現実のギャップで精神的につらくなりそうだったので、少し軽い気持ちで来たのも事実です。

ご自宅から見える風景だそう。うっとりするような絶景です。(宇谷さん提供)

—なるほど、そうなんですね。では、事業所をどういう風に選択していったのかをお聞きしたいんですが、実は最初の事業所はEntôだったんですよね?

はい。さっきも言った通り、環境を変えたくて来たので、最初の面談で「希望がなければ、まだ誰も行ったことがない事業所に行きませんか?」と言われて、それで隠岐汽船に行くことになったんですが、シフトの都合ですぐには行けなかったので最初はEntôに。その後、隠岐汽船で9月から3ヶ月間働きました。毎日商店や会社の荷下ろしがあったので、そこで色々な人と出会って顔見知りになれたことは、海士に来て間もない自分にとってはとても良かったです。

—隠岐汽船の後は?

その次はCAS凍結センターに。実はCASの社長がAMU WORKの代表理事で、社長も何回か隠岐汽船に荷物を取りに来たりされてて、気にかけてもらっていて。そんなこともあったり、ふるさと納税が年末に向けて忙しい時期でもあったので、営業事務として11月からCASに入ることになりました。注文を受けたものを処理したり、出荷作業の方に回ったり。ふるさと納税もピーク時には1日で100件を超える注文があったので正直作業に追われる感じが強かったのですが、全国のお客さんに届けているというやりがいも感じられる仕事でした。受注時の賞味期限シールとは結構戦ってましたね。今は年末に比べれば忙しさも落ち着いた状況なので受注や出荷など色々な仕事をしている感じです。また、3月もCASに行くことになったので、引き続き働く予定です。

たくさんの注文が入り、賞味期限シールがすごいことになっています。(宇谷さん提供)

そのあと、4月からは、一次産業にも関わってみたいなって思いから、サンライズうづかという農業法人に行きます。CASに来て、加工業に触れて、一次産業にも関わりたいなって。それで、また今回も「新しい事業所に行く人になります」って感じで、まだ誰も行ってないサンライズうづかに。

—ここでもまた誰も行ってない場所を選択されたんですね。

そうですね。ただ、週5ではなく、サンライズうづかを週2くらいで、残りの3日は引き続きCASで働く予定です。とりあえず今年しばらくはCASと、プラスどこか他の事業所を掛け合わせた働き方をしようかと考えてます。

—AMU WORKって、事業所を変えられることが大きな特徴だと思うんですが、週3であっても、ずっとCASを続けようと思うのはどうしてですか?

CASの商品が本当に美味しいので、それをもっと沢山の人に知ってもらいたいという気持ちはあります。あとは最初に声をかけてくれた社長の存在も大きいですかね。少しでも事業所の力になれればとの思いもあり、週3でどこまでできるか分からないけど、引き続き関わりたいと思ってます。

—働く中でそういった気持ちになったんですね。では次に、AMU WORKという働き方ついて聞かせてください。

そうですね。初めてのことでも挑戦できるのは強みかな。そうじゃないと、多分水産加工も農業もやることがなかったと思います。AMU WORKに入らなかったら経験できなかっただろう仕事を今やれてますね。一方で、いつまでAMU WORKERとして働くかという問題はあるけど、働いていく中でやりたいことを見つければいいかなと。事業所に就職、自分で事業を始める、もしくは自分で事業をやりながら、副業的に事業所に行く等。本土にいる時には考えなかったような柔軟な働き方も最近はありかなと考えるようになってます。なんか、ここならできそうな気がしてます。

—AMU WORKERとして働いたからこそ、そう思った?

そうですね。普通は移住するにしても、どこかに就職しないといけないので。

CASで働く宇谷さんの様子。(写真左)

あと、AMU WORKは、島に来る最初の取っ掛かりとして良かったです。例えば離島に来て、いきなりどこかの会社に正社員で入ったら、自分の性格だと、人とのつながりがその事業所一箇所だけで終わってしまう可能性があって。でも、AMU WORKはいろんな事業所に行くから、知り合いも増えるし、そういう面では自分に良かったですね。

—確かに知り合いがたくさん増えそうですね。以前の週報ではご自身のことについて「自分から積極的に出ていくタイプではない」と書かれていました。小さな島だとどうしてもコミュニケーションが密になってくると思うのですが、その辺りはどうですか?

AMU WORKでもそうなんだけど、自分の年齢がダントツで一番上で。今住んでる住宅も隣近所は20代が多くて。大田では考えられない環境ですね(笑)物の貸し借りをしたり、お裾分けしたり。家の前でバーベキューしたり、旅行に行ったりもしました。自分から積極的に行くタイプではないけど、相手から来られるのは別に嫌いじゃないんですよね。天邪鬼な感じなので(笑)
それに、近所のコミュニティじゃなくても、島にいると、人との距離が近いですね。町を歩いてるそこらへんのおっちゃんが、実は役職があるお偉いさんだったっていうことが結構あるし、そういう人とつながれるのは面白いなって思います。

ご近所の方々と町のイベントに出展された時の様子。とても楽しそうです。

—今後海士町でやりたいことはありますか?

とりあえず今の仕事、4月から行く新しい職場での仕事を精一杯頑張りたいです。それから、以前はネット販売の仕事をしていたので、ゆくゆくは海士でもそういうネット通販的なことにも関われたらいいなと思ってます。まだまだ自分が知らない離島にしかないものとかがまだまだ沢山ありそうなので。

—前職のスキルを活かして、さらにいろんなことにチャレンジされるんですね。

いろいろできればいいなって思ってます。島に来て一つだけのことをずっとやるのもなあって。それだったらどこでもできるし、この島の人はとりあえずやってみようっていう風土があるので、この島ならではのことをやりたいなって。あと、40代ってけっこうこれからの人生とか考えてしまう年代でもあると思うのでそういう悩める中年の指標に少しでもなれればと。複業組合もほとんど20代なのでもう少し同世代が増えても面白いかなと思っています。

編集後記:
今回宇谷さんのお話をお伺いし、最初から特別やりたいことがあったわけではなかったとおっしゃっていましたが、行った先々で生まれたつながりを大切にしていて、そこでの縁が、これからの宇谷さんの挑戦につながっているんだなと感じました。海士町はやっぱり挑戦の島ですね。お話ありがとうございました。

インタビュー:中川麻畝

書いた人

宇谷 康志

島根県大田市出身。40代バツイチ独身。新しいことにチャレンジしようと決意。やるなら環境を大きく変えようと、思い切って海士町へ移住。

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