AMU JOURNAL

はたらく人の声

素直に自己肯定して、新境地に行きます。

2023.11.15

書いた人 ― 西田 拓稔

最近の海士暮らしで思ったことを綴ります。

10月に海士町観光協会の勤務を終え、ビジネスホテルの「あとど」に勤務をしています。

観光協会では、人と接することが多かったのですが、「あとど」ではベッドメイクや淡々とした一人仕事が多いです。

ベッドメイク
食事の配膳

他に継続勤務しているジオパークでは、ここ数か月でおこなった移動水族館などの報告書や、今後の企画などを再検討する資料を作成しています。

水族館は全部で3回イベントを行ったのですが、そのうち2つはAMU WORKで働いている「隠岐ジオパーク推進機構」にて行いました。
残りの1回は、海士町の「海の士を育む会」という団体の中で行いました。

前回に記事を書いたときから、現在に至るまでは慌ただしく過ごしていました。

一方で最近は、1人で静かに考え事をしていることが多いです。

ということで気分転換がてら、最近の海士暮らしで感じていることを綴ろうと思いました。

音楽フェス(AMAFES)に出演して思ったこと。

11月4日に海士町で開催された音楽フェスに、ほんの一瞬ステージにあがってラップをしました。出演するといったときは、みんなから「なんで!?」と驚かれました。

いろいろ思うことがあって、AMAFESの出演者募集と書いてあるのをみたとき、「出るか」と意を決したのです。ものすごく緊張して当日を迎えました(3分しかでないくせに)。

おわってステージから降りた後、頭の中は真っ白状態で、同じAMU WORKのメンバーに声かけたり喋ったりしながら気持ちを落ち着けていました。

一部の方から「なんでそんなに緊張するのに出演したの?」と的確なツッコミを受けたのですが、 別にラップが上手くて自信があるから出たかったとかいうのではなく、「ただ自分を出したいだけなんで、下手でウケなくても、ダメ出しがあれば、いくらでも後でどうぞ」という衝動気味な感覚で出ただけなのです。

とはいえ、強がっても、やっぱりステージに立った経験は少ないので、ものすごい緊張で、出る直前は正直「やっぱやめといたほうがよかったかも…」とか思い始めました。久しぶりに声が震えていましたし。

で、出演し終わった後も、「なんでこんな衝動的な行動をしてしまうのだろうか」と。あらためて考えることが増えました。

物思いに耽る。

子供時代まで、さかのぼれば、普段は物静かですがたまに衝動気味な行動を起こすことがたびたびあった子供だと思います。細かい具体例は省きますが、わかりやすく書くと「突然キレることがある、クラスに1人はいたヤツ」が私です。

当時はとにかくケンカなどで問題を起こして、母親が困り果てた顔をしていたことを覚えています。父親は無関心を決め込んでいましたから、子供の時の私は家にいるとき、とにかく自分に不安感が強くなっていたことをよく覚えています。

「自分はなぜ感情がうまくコントロールできないのだろう?」

「感情的に突発的な行動をするのはどうしてなのだろう?」

この悩みはだいぶ長く続きました。というか今でも後悔することがあります。
(それこそアマフェスに出演し終わったあとは、強い失敗した感覚があった)

でも最近働いていて、それは見方を変えると「才能」といえるじゃないかと思います。 今まで、忘れてなかったことにしようとしていた自分の衝動性を、少し冷静に見つめてみた方がいいなと思い、少し振り返ることにしました。

衝動を見つめなおす。

突然ですが、私の家の徒歩1分のところから見える島の景色はとても良いです。 静寂の中で素晴らしい島々が見える景色は、自分の衝動的な部分を冷静に観察するより良い時間を与えてくれています。

家から徒歩1分の景色。とても気持ちいい。

大げさでなく、自分の人生の中で一番静かに落ち着いて自分を見つめられていると感じています。最高の振り返り時間となっていて、これはとても幸運なことです。

自分の衝動性を振り返った中で、新しくチャレンジしていこうと決めたことがあります。

“才能を肯定的に解釈する“ということ。

振り返る中で、最近、毎日セルフで言い聞かせていることがあります。

「お前は自分の才能の否定的に見るクセがあるから、これからは肯定的に見ていくといいよ」

ということです。

私は「これをやってみよう!」と気持ちが湧き上がったら、周囲がちょっとヒクくらいのエネルギーを注ぐことがあります。これは、さきほどの「子供時代の突然キレる」とは違いますが、感覚的には似たエネルギーの高まりに感じています。

例えば、私の専門である水族館では、担当生物でもなかったのにどうしても育てたかったクラゲを納得いく育て方をするために自分の持ち業務+αで勝手にやり始めて作業していたりしましたし、過去に展示物をつくるときに、どうしても作りたい景色をつくるために石の種類を選定して、その石が納得いく形になるように削ったり割ったりの作業を、経験がないのに夜通しやったり、広報用に生物撮影の仕事を担当することになった時は、絶妙なベストショットを撮るために求められてもいないのに(業務終了後に毎日最低1000枚は撮影することを日課に)徹夜でやりだしたり、求められてもいないのに企画書を延々と書いているときもありました。

徹夜で風呂にも入らず、家にも帰らず、上司に隠れてこっそりやっていたりすることがたびたびありました。

最終的にはバレて、労務的な観点で指導され(怒られ)ました。

今思い返せばそれは、自身のコミュニケーション、職場での立ち回り方などを整理して取り組めば、むしろ評価されておかしくないことだったかもしれないわけで、もったいなかったと思ったりもします。

大人ですから「結局は自分のせい」であることは重々承知した上ですが、表面化している問題だけを指摘されダメだしされ続けると、どんどん自己嫌悪に陥って自信喪失気味になったことをよく覚えています。「自分は価値のない人間だ」と過敏に傷ついていました。

しかし、高いエネルギーを自分の興味をもったことや関心のあることに注ぎきれるというのは、根本的には素晴らしいことであり、ある意味で才能だと思います。

「自分の衝動性を肯定的に解釈するといいよ」

「せっかく頑張っているのに、誤解を招いているのはよくないよ」

「周囲が理解しやすいように普段の振舞い気をつけるといいよ」

といった、歩調を合わせたアドバイスをくれる人は周囲にはいなかったのです。

島を眺めて、振り返る中で、そのことをふと思い出したので、セルフで自分に言い聞かせているのです。

「お前は自分の才能の否定的に見るクセがあるから、これからは肯定的に見ていくといいよ」

そして今。

自分に言い聞かせるだけでなく、毎日のふとした瞬間に、自分を変えていくチャンスが訪れていることに気づきました。

最近、水族館をやった後とか、AMAFESにでた後で、いろんな人から声をかけられるようになりました。普段よく会う人からも、面識のない人からも。

「水族館よかったですよ~」

「今回はいけなかったけど、とても良かったと聞いたから今度遊びに行きたい」

「今日は水族館やっていますか?」

「あ、ラップしていた人ですよね。よかったですよ~」

「ラップで泣いている人がいたそうですよ」

商店でレジの会計をまっているとき、昼休憩でカップ麺にお湯を注いでいるときとか、そんな何の気なしのタイミングで、声をかけられます。

そんなときに、過去の自分がぬっと顔を出してきます。

「いや、自分がやったことなんて○○水族館と比べたら大したことないから。そんなにほめんといてくれ、恥ずかしいから」とか

「自分なんて水族館業界でみれば、良くて下の中くらいだし、もっと頑張らないといけないんや」とか

「いやおれは別にプロのミュージシャンでもなければ、ましてやアマチュアですらないしな。」

とか、とにかく自己否定して自分を守ろうとする自分です。

ただ最近、もう一人の自分が、

「もういい加減、そういうの、やめようか。暗いし。その変な謙遜、キモイから。褒められているんだから、素直に受け取れ」と考え出しているのです。

過去に傷ついてしまったことは、もう過去のことでしかないのに、いつまでもひきずったまま自己防衛している自分が、ダサくみえてきているのです。

それは、これまでの自分になかった心境の変化だと思います。

「評価されることに怯えて、いつまでも卑屈に負け犬のふりを続けるのは、かっこよくないし、仮にこれから何かで負けても、失敗しても堂々としていることのほうが、きっと生きていて清々しいし、見ている人も気持ちいいと思うよ」

そんなことを、今、自分に言い聞かせています。

今、自分なりに新しいチャレンジや計画を考えています。
また実現してたくさんの人にお見せしていけたらいいなと、日々新たに頑張っていこうと、 気持ちを新たにしている最近です。

書いた人

西田 拓稔

佐賀県出身。身近に海や生物がある環境で暮らしたいと思い、移住を決意。海士町では、水族館の運営に挑戦しています。

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